甲府城2016年09月11日

武田信玄像
甲府駅前の有料駐車場に車を置き、信玄の銅像を左に見ながら甲府城に向かう。

手には『歴史群像シリーズよみがえる日本の城11駿府城甲府城』(学習研究社)。

この中に縄張り図があるのでそれを見ながら歩こうという寸法。

時刻は10:34AM、気温はどんどん上昇中だ。



土塀
大きな陸橋の下で右に曲がると立派な石垣と白い土塀が見えて来る。

久しぶりに近世城郭にやって来たことを実感する。



ここ甲府城は武田氏滅亡後に甲斐に入った徳川ではなく、加藤光泰・浅野長政らの豊臣政権の重臣によって築かれた。

関が原以後は徳川一門の支配地となる。

その中には三代将軍家光の実弟・忠長もいる。

母・お江与の方の愛情を一身に集めて将軍職を兄と争う形となったため三代将軍職に就いた家光に憎まれ、幽閉→自刃という運命を辿る。



内松陰門
内松陰門から城内に入る。

前後左右見事な石垣だ。



本丸へ
石段を上って本丸へ。



帯曲輪
本丸の銅門跡の石垣に上って今来た経路を振り返ると幾何学的に折れ曲がった土塀と石垣が小気味良い。



天守台
本丸の東端の天守台に向かう。



天守台
ここの石垣も見事だ。



天守台から南の眺め
石段を上って天守台上に立つと甲府市街が360度見渡せる。



ここで持参の縄張り図と見比べて見ると城の西側は道路、北側は鉄道でバッサリ切断されて消滅したことが良く分かる(近年線路の向こう側に清水曲輪が復元された模様)。

すると僕が手にしていた縄張り図を見たボランティアガイドさんが

「『楽只堂(らくしどう)年録』ですね」

と話しかけてきた。

しばらくこのガイドさんと話したが、甲府城の歴代城主は勿論、武田家の系譜まで本当に良く知っている。

ためになる話を沢山聴いたはずなのだが、今現在ほとんど覚えていない。

実はとにかく暑かったのだ。

特に天守台の上は日陰が全く無く、意識朦朧の一歩手前だった。



稲荷櫓
天守台を下りて稲荷曲輪に再建された稲荷櫓に入って見る。

とにかく日陰に入りたかった。

入り口に置いてある三つ折りのパンフレットを見ると、城址全体のイラストマップが載っている。

現地でこんないい物が手に入るとわかっていたらわざわざ本など持ち歩かなかったのに。



稲荷櫓内部
2004年に古式な工法で復元された稲荷櫓はエアコンこそ入っていなかったがそれなりに涼しかった。



復元模型
2階には城の復元模型もあった。



この甲府城は幕末の最終局面で歴史に登場する。

大政奉還・王政復古・鳥羽伏見の戦いを経た慶応4(1868)年。

江戸にいた新選組局長・近藤勇に甲府城に入るべしという指令が勝海舟より下る。

甲府で新政府軍の進撃を食い止めろというのは表向き。

できるだけ有利な条件で新政府に江戸城を引き渡したい考えの勝としては、徹底抗戦派の新選組を体よく江戸から追っ払うのが主眼だった。



それと知ってか知らずか近藤は有頂天。

ついに城持ち大名になったとばかりに、甲州街道の宿場宿場でドンチャン騒ぎを繰り返す。

何しろ道中の多摩地域は彼らの地元なのだ。

甲府城への行軍は、故郷に錦を飾る彼らの凱旋パレードと化してノロノロと進んだ。

その間に板垣退助率いる新政府軍が甲府城に無血入城を果たしてしまった。

勝沼で新政府軍とドロナワ的な野戦に及んだ甲陽鎮撫隊(新選組)は惨めな敗戦を喫する。

謂わば甲府城は近藤勇の幻の城なのだ。


遺構残存度4見事な石垣
歴史的重要度3忠長幽閉と甲陽鎮撫隊
景観4城のある都市景観と天守台からの眺め
案内充実度5ハイレベルなガイドと要点を得たパンフ

躑躅ヶ崎館2016年09月11日

昨日駐車場の利用時間の関係で1時間足らずしか見学できなかった躑躅ヶ崎館を再訪。

昨日と同じ駐車場に車を停める。

すぐ近くに堀と土塁の跡らしき物がある。

梅翁曲輪
これが梅翁曲輪で、蔵前衆(代官)の執務所だった。



この曲輪の外周を歩いて武田通りに出る。

躑躅ヶ崎館、つまり現在の武田神社への参道が南北に真っ直ぐ伸びている。

お城への道にしては例外的な真っ直ぐさだ。



その武田神社に向かって緩やかな坂道を北上する。

鳥居の向かいのお土産屋で風林火山のTシャツを購入。

僕はこういうのに弱い。



武田神社
躑躅ヶ崎館は言わずと知れた武田信玄の居館。

武田家滅亡後、徳川・豊臣系の大名が入った後、江戸時代に入って甲府城の築城に伴って廃城。

大正時代になってこの地に信玄を祀る武田神社が創建されて今に至っている。



ほぼ四角形の躑躅ヶ崎館。

その四角形の下辺に当たる南側の外周を東に向かって歩く。

往時は存在しなかった鳥居・門・橋は無視。



館の反対側に勝頼を裏切って織田に内通した穴山信君の屋敷跡

高坂昌信屋敷跡
すぐ近く(というか隣)には落日の武田家を支え、生き残りを模索しながら病死した高坂昌信の屋敷跡もある。



この辺りが南東の角で、次は東辺を北に向かって歩く。

大手口東エリア
すると右側、つまり館跡の外側のエリアが復元整備されている。

甲府盆地
土塁の上に登って南を向くと甲府盆地が見渡せる。

ここは甲府盆地を形成する扇状地の要の位置に当たり、ここから南に向かって傾斜して下っているのだ。



大手口前構造物
続いて西を向くと、館の大手門の前に復元された馬出しの構造がよくわかる。

しかしこれは武田得意の馬出しではなく、武田家滅亡後に入封した徳川氏か豊臣系大名によって作られた何らかの建物の土台らしい。



土橋を渡って大手門跡から武田神社の敷地に入る。

入ってすぐが東曲輪、次が中曲輪

この中に信玄の屋敷やら政庁などがあったらしいのだが、実際にはただの神社にしか見えない。

信玄使用の井戸
わずかに信玄使用の井戸があるくらいだ。



東曲輪に建つ宝物殿には昨日入って、由来不明の風林火山の旗を見た。

結構な大きさだった。



土塁の切れ間から武田神社の敷地を出て西曲輪に入る。

西曲輪
こちらは神社の施設が無く、ほぼ野ざらしだ。

俄然遺構らしさが戻ってきた。

西曲輪の土塁の上を歩いていると中曲輪との間の堀の深さや中曲輪の土塁の高さが迫力を伴って実感できる。



鬱蒼として日当たりの悪い西曲輪にはうらぶれ感が漂っている。

ここには人質が住まわされていたというのが何となく納得できる。

そして野ざらしだけに蚊も凄い。

カメラを構えた瞬間、腕に1匹はとまっている。



枡形虎口
北側には枡形虎口の跡がかなり明瞭に残っている。

崩れかけた石垣は武田家滅亡後に入った徳川か豊臣系大名によって築かれたものらしい。



土橋
土橋を渡って外に出る。

味噌曲輪か
この辺りにも味噌曲輪などがあったらしいのだが、余りにも草ぼうぼうで判別できない。

辛うじてお稲荷さんを祀った稲荷曲輪が見つかったくらいだ。



館跡を背にして北に向かう。

小山田信茂屋敷跡
すると最後の最後に勝頼を裏切った小山田信茂の屋敷跡が今は駐在所になっている。

武田信廉屋敷跡
さらに北上すると信玄の弟、武田信廉の屋敷跡が、こちらは公園になっている。

彼は武将としてはほぼ無能だったが、我々にとって極めて貴重な物を遺してくれている。

それは父・武田信虎の肖像だ。

信虎晩年の肖像らしいが、老いてなお眼光異様なまでに鋭いその姿には強烈なインパクトがある。

この絵は信玄の父のキャラクターを理解するのに重要な手がかりを与えてくれる。



さらに北に進めば躑躅ヶ崎館が攻められた際の詰めの城である要害山城だが、僕らはこの後女房の家族と甲府城で合流することになっているので、駐車場に向かった。


ところでこの地に武田神社を建てた人たちは何がしたかったのだろう。

彼らが信玄を顕彰しようとしたことは間違いない。

それなのに実際にやったことは土塁を崩し、存在しなかった石垣を築き、架空の橋を架け、遺構から信玄の色とでもいうべき物を薄めてしまっている。

せめて西曲輪のように野ざらしにしておいてくれたらと思わずにはいられない。


遺構残存度4武田神社がなければ・・・
歴史的重要度5戦国スター武田信玄の城
景観3樹木の繁茂で眺望が遮られる
案内充実度3神社の外が充実

新府城2016年09月10日

長篠の大敗以来の弱体化で、織田信長軍の甲斐討入りが避けられないとみた勝頼は防御の手薄な躑躅ヶ崎館を捨て新城を築く決断をする。

それがこの新府城だ。



駐車場に車を置いて県道17号を歩いていると原っぱの中に方形に突起した地形が現れる。

東出構え
これが東出構えだ。



石段
さらに歩くと『史跡 新府城跡』という石柱と石段に至るのでこれを登る。

かなり急な石段だ。

本丸跡
息を切らせながら登りきったところが本丸跡で、神社が建っている。

さっきの石段はこの神社への参道なのだ。

本丸の周りは土塁で囲われている。

本丸からの眺望
ここからの眺めもいい。



最高地点である本丸から大回りしながら下りて行く。

立て札
『二の丸↑』とか『馬出↑』という立て札はあるが説明は何も無い上に夏草が生い茂っていてどこに何があるのかわかりにくい。

丸馬出し
予めネットで拾っておいた「想定復元図」を頼りに、丸馬出しだけは辛うじて確認できた。

これはなかなかの見応えだった。



結局さっきの石段とほぼ同じ所に下りて来た。

水堀跡
県道17号線を駐車場に向かって歩いていると、城とは反対側にいかにも遺構のような畝状の突起が見える。

これがかつての水掘の跡だ。



車に乗り、駐車場から国道17号線を突っ切って田んぼのあぜ道のような道を行く。

たどり着いた小さな駐車スペースが城の北西端らしい。

堀跡
水掘の跡らしき小川と土塁の跡が確認できる。



この城の完成を待たずに躑躅ヶ崎館から居を移した勝頼だったが、織田軍の来襲を前にして自ら城を破却して落ち延びてゆく。

未完の城では持ち堪えられないと考えたのだ。

この後の歴史を知っている者からすればいっそこの城で華々しく討ち死にでもした方がまだ良かったのにと思ってしまう。



遺構残存度3説明不足と夏草の繁茂で判別困難
歴史的重要度4名家武田氏最後の城
景観4本丸からの眺望
案内充実度2素っ気無い立て札。それさえあったりなかったり




この後、昇仙峡を観光してから躑躅ヶ崎館に行ったのだが、駐車場の関係で1時間足らずしか見学できなかったので翌日再訪することにした。

沼田城2016年06月25日

沼田城は戦国時代における上州の領地争いの最前線になった城だ。

秀吉の裁定で北条氏の城となったが、真田領の名胡桃城を沼田城代の猪俣邦憲が奪取したことが秀吉に北条攻めの口実を与えることになる。

北条氏滅亡後は真田信之が城主となった。



車を沼田公園の駐車場に停める。

名胡桃城に続いてこちらも沢山の車が停まっている。

名胡桃城にあったような案内所があったので入ってみた。

沼田公園の案内図はあったが、沼田城の縄張り図はなかった。

それよりもさっき名胡桃城の案内所で定価600円のところなぜか650円で買わされた真田一族を紹介したムック本がここでは500円で売っている!

いったいこれはどういうことだ。

群馬では書籍の再販制度が崩壊しているのか?



モヤモヤした気持ちで城址公園を歩き始める。

西櫓台の石垣・石段
城址公園とは言うものの遺構とはっきりわかるのは西櫓台の石垣と石段くらい。

遺構らしき土の盛り上がり
遺構らしき物
他にも遺構らしき土の盛り上がりや段差があったりするのだが説明が全くなく、縄張り図もないので確認のしようがない。



真田信之・小松姫像
困惑しながら歩いていると2体の石像が。

真田信之と妻の小松姫の像だ。

大河ドラマの放送に合わせて造ったことがその真新しさからよくわかる。

しかしこんな物を造るくらいなら史跡の説明を充実させて、案内所に縄張り図の1枚でも置いてほしいものだ。

公園の北側は台地が張り出した崖になっていて、眺望がきく。

ここから見える物については写真付きで丁寧に説明している。

名胡桃城
それによるとこの写真中央に張り出した台地の先端部分が名胡桃城だ。

本当に目と鼻の先だ。

これならつい攻め込んでしまうかも。

秀吉はそこまで読んでいたのか?

勝手な妄想がふくらんだ。

遺構残存度2石垣の他は不明
歴史的重要度4上州領地争いの最前線
景観4名胡桃城が見えてポイント稼ぐ
案内充実度2案内次第で倍以上面白くなるはず

名胡桃城2016年06月25日

今日は会社の車を借りて家族3人で群馬の名胡桃城と沼田城をハシゴする。

まずは名胡桃城。



名胡桃城駐車場
土曜日の午前、駐車場には既にたくさんの車が停まっている。
勿論大河ドラマ『真田丸』効果だろう。

名胡桃城は上杉・武田・北条・徳川が入り乱れて領地争いを繰り広げた戦国時代に、武田の家臣だった真田昌幸が築いた城。

秀吉が一切の私戦を禁じた惣無事令の時点では真田の城だったのを、北条が禁を破って奪ったことが小田原征伐の口実を与えることになる。

駐車場を出たところにはブームを当て込んで作られたとおぼしき案内所もあるので入ってみる。
案内所内部
中では大河ドラマに使われた甲冑や俳優のサインが目を引くが、我々お城ファンにとっては自由にもらえる資料類の充実がうれしい。

特に縄張り図がここで手に入るのは本当にありがたい。



名胡桃城
その縄張り図を手にお城に入る。

さっきの駐車場も般若郭という曲輪だったことが縄張り図でわかる。



武田系の城によく見られる丸馬出しを経て追手門から三郭(さんのくるわ)に入る。

名胡桃城は山の尾根上に曲輪が直線状に連なる連郭式の山城だ。

堀切
各曲輪は尾根を遮断する堀切で仕切られている。

三郭の次は二郭だ。

喰い違い虎口
この入り口には左右の土塁をずらして配置する喰い違い虎口が設定されている。



二郭を出ると本郭だ。

本郭
本郭の中ほどには熊除けの鐘があって娘がはた迷惑なくらい鳴らしている。



ささ郭
本郭の先はささ郭という曲輪。

ここは眺望が開けている。



六文銭
いつの時代の物かはわからないが、石の祠の屋根には六文銭スタイルのお賽銭が。

その先の茂みの中に物見があるらしく、そこへ至ると思われる小道もあるのだが、小学2年生と行くには危険と判断して引き返した。

見学に要したのはおよそ40分。

小さなお城だ。

この小さな城が百年の栄華を誇った北条氏滅亡のきっかけを作ったかと思うと何やら感慨深いものがある。

またこの城址は大正時代から地元の有志によって保存・管理がなされ、その土台の上に大河ドラマに合わせた整備がなされて非常に見やすい城になっている。



遺構残存度4ほど良い整備で見やすい
歴史的重要度4北条氏滅亡のきっかけの城
景観4ささ郭からの眺望
案内充実度5素晴らしい案内所と現地の解説板




さっきの案内所で名胡桃城のTシャツと『戦国サバイバルを生き抜いた真田三代の軌跡 真田一族』というムックを買う。
このムック本、値札に650円と書いてあったのでその通り支払ったのだが、後で裏表紙を見ると「定価:600円」とある。
どういう事?

次は沼田城へ向かう。