丸子(まりこ)城2015年02月15日

丸子城の三日月堀
丸子まりこ城を目指して静岡市内の国道1号線を車で西に向かい、駿府匠宿入口交差点で右折する。
すぐにその駿府匠宿とやらの駐車場が右に見えるので誘導のおじさんに、
「丸子城に行きたいんだけど」
と聞くと
「この先車を停める所はないからここに入れていけ。後ろもつかえてるし」
とのこと。
振り返ると後ろにもう何台か続いている。
駿府匠宿 まだ9時になったばかりだというのに。
なにがあるのか知らないが、駿府匠宿は流行っているらしい。

車を降り歩き始める。
手には昨日とろろ飯で有名な丁子屋で100円で買った『戦国のロマンを訪ねて丸子城址をあるく」という小冊子。
山里には不釣合いな真新しい日本風建築が建ち並ぶ前を北に向かって緩やかに坂を上る。
泉ヶ谷 左手に丸子城に向かう小道があるのでそちらに進む。
茶畑の脇を通り、梅林の斜面を一気に上る。

息が上がった頃に視界が開け、振り返ると泉が谷の集落が見渡せる。

丸子稲荷からの眺望 さらに登ると小さな祠が建っている。
丸子稲荷神社の奥宮だ。
ここは外曲輪でもあった。
『丸子城址をあるく』にはここから駿河湾や伊豆の山並みまでが見えると書いてあるが、いまでは樹木が茂って眺望はほとんど開けない。

三日月堀 そこから尾根道を進み斜面を登ると見事な三日月掘が現れる。
この辺りの城のご多聞に漏れずこの丸子城も、今川→武田→徳川と持ち主が変遷している。
この堀は武田時代の物らしい。

竪堀 東の曲輪(現地案内板では大手曲輪)を経て北の曲輪に入る。
ここは今川時代の本丸だ。
竪堀や土塁が明瞭に残っている。

枡形虎口 さらに三の丸、二の丸を過ぎるとざっくりとした堀切と枡形虎口を経て本丸(本曲輪)に入る。
ここが武田時代の本丸だ。
左手に東袖曲輪が階段状に下りて行き、右手に下りると物見曲輪、堀を隔てて大鈩おおだたら曲輪が見える。

必ずしもメジャーな城ではないが、遺構が良く残って見所満載だ。
整備は最小限にとどめられているようなので、生々しさも失っていない。
また、この城を訪れる方は丁子屋で『丸子城址をあるく』を予め買っておくことをおすすめする。
100円。

遺構残存度5見事な堀、曲輪の数々
歴史的重要度3戦略的重要ながら実践経験はなし
景観3樹木のせいでほとんど見えない
案内重要度2もう少しあると良かった

東海道<第23日>府中~丸子2015年02月14日

安倍川と富士山
東名高速で静岡に向かう 今回の東海道歩きは自動車での遠征にチャレンジ。
柏市内の女房の兄貴の家を5:30AMに出発、2度の休憩を挟んで静岡駅から南に800mの静岡ビクトリアホテルに着いたのが10:30AM。
ホテルの立体駐車場に車を置いて歩き始める。

徳川慶喜屋敷跡 まずは駅のすぐ北にあるはずの徳川慶喜屋敷跡を目指す。
鳥羽・伏見の戦いに敗れて新政府に恭順した慶喜が移り住んで20年を過ごした屋敷だ。
意外と探すのに手間取って、20分ほど時間をロスしてやっと現在は浮月楼という料亭になっている屋敷跡にたどり着いた。
門構えに高級感が漂う。
勿論入る度胸はない。
婚礼が終わったところと思しき敷地内を門外からちょこっとのぞいて立ち去った。

11:25AM、前回のゴール地点、駿府城近くの交差点から1年振りの東海道歩きを始める。

呉服町 道筋は静岡市の中心街をジグザグに縫って行く。
往時のままと思われるヒューマンスケールの道幅が心地良く、道の両側には商店が建ち並んでいて活気がある。
喫茶店も多い。
とても好感の持てる街だ。

安倍川の川会所跡 中心街を出てしばらく歩き、空腹に耐えかねて通りすがりの店でたい焼きを買い食いして、また歩き始めるとすぐに有名な安倍川餅の店が見えてきた。
餅屋に入る前に、その向かいの公園に立ち寄る。
旧街道が国道362号線と合流する地点に設けられたこの三角公園は川会所跡
江戸時代、この目の前の安倍川には橋を架けるのが禁じられていた。
旅人は川越人夫を雇って川を渡るのだが、その人夫を監督する役所が川会所だ。
なぜ架橋が禁じられていたかというと、西国から敵が攻め上って来るのを食い止めるためだそうな。
いつもながら社会の発展よりも自家体制の安泰のみを優先する徳川幕府の小心さには辟易させられる。

由井正雪公之墓趾 細長いこの三角公園の先端部分は立場の跡で、その手前には大きな石碑が建っている。
何かと思って見ると由井正雪公之墓趾である。
幕権華やかなりし江戸前期に幕府転覆を企てた人物だが(露見して自害)、歴史的な業績に対してこの石碑は大き過ぎないだろうか?
どうやらこれを建てた明治政府は敵の敵は味方とばかりに徳川幕府にたてついた人間は何でも顕彰したかったらしい。

せきべや さて安倍川餅屋のせきべやに入る。
図体のでかい亭主が無愛想に迎える。
壁には有名人のサインがびっしりと並んでいる。
この中の、例えば黒柳徹子に対しても同じ態度で接するのだろうか?
餅はあんこと黄な粉があってどちらも美味しかった。

店を出ると同じような茶屋が何軒か並んでいて、安倍川手前の立場の雰囲気が感じられる。
せきべやの軒下には鉄アレーが転がっていた。
あの亭主の物だろう。

安倍川 1:20PM、青空の下、安倍川橋で安倍川を渡る。
現代の安倍川は水量がめっきり減ったのか、これなら川越人夫なんか雇わなくても自力で渡れそうだ。
対岸の堤防まで行って振り返ると富士山がきれいに見える。
しばしここで撮影タイム。

安倍川西岸の旧道 安倍川の渡しのルートは現代の安倍川橋よりもやや南にあったらしい。
そこで橋の袂から南を見ると、数メートル先に堤防から川の反対方向に下りる階段が見える。
ここで僕の“旧街道センサー”が反応する。
街道を横切る川の堤下には往々にして立場の雰囲気の残る一画があったりする。
中山道の塩名田などで経験済みだ。
今この堤防を下りる階段から見下ろすと、軒の低い古ぼけた日本家屋が3軒並んでいてそれなりの風情を醸している。
ここが立場の跡だという標識等はなかったが、旧街道であることは確信した。

丸子に向かう旧東海道 その道はすぐに安倍川橋を渡った国道362号線と合流して丸子まりこに向かう。
所々にかなりの樹齢と思われる松がポツンと立っている。
松並木の名残だろうか。

枡形の跡 2:35PM、明瞭な枡形の跡があってここから丸子宿であることがわかる。
かなりお腹が空いてきたが、今日の昼食は広重の絵でも有名な丁子屋のとろろご飯と決めているので、我慢して静かで小さな住宅地となった丸子宿を歩き続ける。

丁子屋 3:10PM、河沿いの坂をわずかに上ったところに丁子屋が現れた。
確かに広重が浮世絵に描いた通りの茅葺屋根の鄙びたたたずまいだ。
ところが中に入って「4名さま、どうぞこちらへ」と案内されるままに奥へと進むと小さな小屋のような建物の奥に建て増しがしてあって、通されたのはテニスコートが2面取れそうなほどの大広間。
イメージが軽く狂う。

麦飯にとろろ汁をかけて食べるとろろ飯は女房と女房の兄貴には好評だったが、僕はとろろ汁と麦飯の分量の程よいバランスが最後までつかめず、ご飯を食べ終わった後にかなり残ったとろろ汁をずずーっとすする破目になった。

高札場跡 食事を終え店の目の前の丸子橋を渡ると、そこに江戸時代の高札場が再現されている。
ここのベンチで、さっきとろろ飯を食べなかった娘にパンを食べさせる。
向かいはなんと丁子屋の第2駐車場だ(第1駐車場はあの大広間の裏)。
広重の浮世絵に描かれた通りの外観を守って山里でひっそりと商いを続けているようなイメージを持ってやって来たが、実際は随分と派手にやっているようだ。
相当のヤリ手がいるらしい。

そこから20分ほど歩いて旧東海道が国道1号線と合流するところで今日の行程を終わりにして、二軒屋バス停から静岡駅に引き返した。
明日は街道は歩かずに観光する。
さてバスが走り始めてすぐ、窓の外に見えたある物に僕らは驚愕した。
丁子屋第3駐車場!

新選組近藤勇陣屋跡2014年11月02日

近藤勇陣屋跡
今日の最後の目的地はお城ではなく、新選組近藤勇陣屋跡

鳥羽・伏見以来敗退を重ねた新選組はここ流山で再起を期した。
しかし有馬藤太率いる新政府軍に包囲され、観念した局長近藤勇は一旦は切腹を決意するが、副長土方歳三の進言を容れて変名の大久保大和として出頭することにする。
だが新政府軍に近藤の顔を知っている者がいたため身元が露見、板橋で斬首に処される。

近藤勇陣屋跡 丘の上にそびえる流山市役所の駐車場に車を停め、坂を下って大通りから往時のままの道幅と思われる路地に入ると真新しい土蔵風の建築が見える。
近藤が本陣として使用した土蔵を模した物だろう。

平成15年発行の『新選組紀行』中村彰彦[著]によるとここに廃屋同然の土蔵が建っていたということなので、その時点では当時のままの建物が残っていたのかも知れない。
現在では去年建てられた土蔵風建築の手前の展示スペースに礎石だけがわずかに残されている。

結果的にここが近藤・土方永遠の別離の地となった。

新選組人気は依然根強いものがあり、ここにもファンがひっきりなしに訪れる。

路地をさらに進むと墓地と閻魔堂があり、そこで昔の巡査みたいな扮装の男と新選組の制服を着た(コスプレをした?)女の子二人がファン相手に何やらやっている。
どうやら流山での新選組について説明しているらしい。
巡査姿の男は、
「観光協会の方々は史実を無視して流山の観光スポットに強引に結びつけようとするので困ります」
とボヤいていた。

新選組に斬られる巡査 その後女の子が剣舞を披露し、大河ドラマでも仕事している殺陣師につけてもらったという殺陣も見せてもらった。
女子高生のような新選組が巡査を斬るというシュールな見世物だったが、
「ちょっと待ってって言ってるのにぃぃぃ」
とか言いながら斬られる巡査男の斬られ方が特に上手かった。
芸能界にいた人だろうか。

路地を引き返していると、また二人の新選組姿の女性とすれ違った。
今度はややベテランだ。
「ありがとうございました」
と声をかけてくれた。
新選組は格好のコスプレ・ネタとして現代に息づいているようだ。

小金城2014年11月02日

小金城の障子堀
大谷口歴史公園 いよいよ高城氏の本拠・小金城(別称・大谷口城)だ。
ここは戦国期の下総きっての巨城だったらしいが、ご多聞にもれず宅地化のため遺構のほとんどが失われ、現在では馬場曲輪の一部が「大谷口歴史公園」として整備・保存されている。

畝堀 住宅地のはずれのこんもりした丘がその歴史公園だ。
階段を上ると虎口・土塁が残る曲輪に出る。

その曲輪の周りには北条氏得意の障子堀と畝堀があって、高城氏が戦国末期には北条氏の傘下に入っていたことがうかがえる。

遺構残存度3住宅地の中の畝堀・障子堀
歴史的重要度3高城氏下総支配の拠点
景観3樹木の隙間からわずかに眺望
案内充実度3松戸市は良くやってる

根木内城2014年11月02日

根木内城
3つ目は根木内城
実はこの城、仕事で足立区と柏を車で行ったり来たりしている間に目をつけていた。

根木内城址入り口 市川の国府台城から国道6号線を柏方面に走り、根木内の交差点で右折して県道57号線に入るとすぐに根木内歴史公園の駐車場があるのでそこに車を停める。
そこから国道に戻る方向に歩くと右手にアスファルトの坂があるのでそれを上る。
そこが根木内歴史公園の入り口だ。

入り口の手前に掲示板があって、縄張り図や航空写真などが掲示されている。
これはありがたい。

土橋 空堀にかかる土橋を渡って曲輪に入る。
芝生広場の周りを比較的明瞭な土塁が取り囲んでいる。
ここは城全体の南東の隅っこで、ここだけを残してあとは国道6号線と宅地化で消滅してしまった。
しかしこれだけでも良く残ってくれた。

曲輪 ここはすぐそばを国道が走っているとは思えないほど静かである。
ここから国道の向こう側までを俯瞰できれば、地形や区画などから元々の城域を推定できるかとも思ったが、樹木に遮られて眺望は得られなかった。

根木内城は戦国時代にこの地を治めた高城氏の城なのだが、小金城ができるまではここが本拠だったとする説と、小金城の支城だとする説とがあるようだ。

遺構残存度3国道敷設と宅地化の中でけなげに残る
歴史的重要度2詳しいことはわからず
景観2樹木に遮られて眺望なし
案内充実度3要所に適切な案内板