沼田城2016年06月25日

沼田城は戦国時代における上州の領地争いの最前線になった城だ。

秀吉の裁定で北条氏の城となったが、真田領の名胡桃城を沼田城代の猪俣邦憲が奪取したことが秀吉に北条攻めの口実を与えることになる。

北条氏滅亡後は真田信之が城主となった。



車を沼田公園の駐車場に停める。

名胡桃城に続いてこちらも沢山の車が停まっている。

名胡桃城にあったような案内所があったので入ってみた。

沼田公園の案内図はあったが、沼田城の縄張り図はなかった。

それよりもさっき名胡桃城の案内所で定価600円のところなぜか650円で買わされた真田一族を紹介したムック本がここでは500円で売っている!

いったいこれはどういうことだ。

群馬では書籍の再販制度が崩壊しているのか?



モヤモヤした気持ちで城址公園を歩き始める。

西櫓台の石垣・石段
城址公園とは言うものの遺構とはっきりわかるのは西櫓台の石垣と石段くらい。

遺構らしき土の盛り上がり
遺構らしき物
他にも遺構らしき土の盛り上がりや段差があったりするのだが説明が全くなく、縄張り図もないので確認のしようがない。



真田信之・小松姫像
困惑しながら歩いていると2体の石像が。

真田信之と妻の小松姫の像だ。

大河ドラマの放送に合わせて造ったことがその真新しさからよくわかる。

しかしこんな物を造るくらいなら史跡の説明を充実させて、案内所に縄張り図の1枚でも置いてほしいものだ。

公園の北側は台地が張り出した崖になっていて、眺望がきく。

ここから見える物については写真付きで丁寧に説明している。

名胡桃城
それによるとこの写真中央に張り出した台地の先端部分が名胡桃城だ。

本当に目と鼻の先だ。

これならつい攻め込んでしまうかも。

秀吉はそこまで読んでいたのか?

勝手な妄想がふくらんだ。

遺構残存度2石垣の他は不明
歴史的重要度4上州領地争いの最前線
景観4名胡桃城が見えてポイント稼ぐ
案内充実度2案内次第で倍以上面白くなるはず

名胡桃城2016年06月25日

今日は会社の車を借りて家族3人で群馬の名胡桃城と沼田城をハシゴする。

まずは名胡桃城。



名胡桃城駐車場
土曜日の午前、駐車場には既にたくさんの車が停まっている。
勿論大河ドラマ『真田丸』効果だろう。

名胡桃城は上杉・武田・北条・徳川が入り乱れて領地争いを繰り広げた戦国時代に、武田の家臣だった真田昌幸が築いた城。

秀吉が一切の私戦を禁じた惣無事令の時点では真田の城だったのを、北条が禁を破って奪ったことが小田原征伐の口実を与えることになる。

駐車場を出たところにはブームを当て込んで作られたとおぼしき案内所もあるので入ってみる。
案内所内部
中では大河ドラマに使われた甲冑や俳優のサインが目を引くが、我々お城ファンにとっては自由にもらえる資料類の充実がうれしい。

特に縄張り図がここで手に入るのは本当にありがたい。



名胡桃城
その縄張り図を手にお城に入る。

さっきの駐車場も般若郭という曲輪だったことが縄張り図でわかる。



武田系の城によく見られる丸馬出しを経て追手門から三郭(さんのくるわ)に入る。

名胡桃城は山の尾根上に曲輪が直線状に連なる連郭式の山城だ。

堀切
各曲輪は尾根を遮断する堀切で仕切られている。

三郭の次は二郭だ。

喰い違い虎口
この入り口には左右の土塁をずらして配置する喰い違い虎口が設定されている。



二郭を出ると本郭だ。

本郭
本郭の中ほどには熊除けの鐘があって娘がはた迷惑なくらい鳴らしている。



ささ郭
本郭の先はささ郭という曲輪。

ここは眺望が開けている。



六文銭
いつの時代の物かはわからないが、石の祠の屋根には六文銭スタイルのお賽銭が。

その先の茂みの中に物見があるらしく、そこへ至ると思われる小道もあるのだが、小学2年生と行くには危険と判断して引き返した。

見学に要したのはおよそ40分。

小さなお城だ。

この小さな城が百年の栄華を誇った北条氏滅亡のきっかけを作ったかと思うと何やら感慨深いものがある。

またこの城址は大正時代から地元の有志によって保存・管理がなされ、その土台の上に大河ドラマに合わせた整備がなされて非常に見やすい城になっている。



遺構残存度4ほど良い整備で見やすい
歴史的重要度4北条氏滅亡のきっかけの城
景観4ささ郭からの眺望
案内充実度5素晴らしい案内所と現地の解説板




さっきの案内所で名胡桃城のTシャツと『戦国サバイバルを生き抜いた真田三代の軌跡 真田一族』というムックを買う。
このムック本、値札に650円と書いてあったのでその通り支払ったのだが、後で裏表紙を見ると「定価:600円」とある。
どういう事?

次は沼田城へ向かう。

向島純情楽団ライブ@荻窪ルースター2016年04月20日

4月16日に行ったライブの動画です。





大多喜城2016年02月13日

大多喜城は千葉県大多喜町の小高い丘の上に建つ平山城。

戦国期には安房の里見氏重臣の正木氏が城主であったが、家康の関東入封に伴い本田忠勝が城主となる。

その後主を替えながら明治4年に廃城となった。



駐車場
車を駐車場に入れると、思いのほかたくさんの車が停まっている。

駐車場の出入り口には土産物屋が軒を連ねている。

今回女房の兄貴から聞くまでは名前も知らなかった大多喜城だが、地元ではそれなりに有名な観光地らしい。



空堀跡
ここに向かう車の中からちらちら見えていた天守に向かって車道を歩いていると右側に空堀の跡が。

かなり大きい。

崩落した崖のようにも見える。



さらに上ると右側に「大多喜城二之丸公園」がある。

公園と言ってもちょっとしたスペースに東屋があるくらいだ。

堀切跡
しかし堀切の跡らしき物はしっかりある。

さらに細い階段を上るとそこにも小スペースがあり、現在そこには梵鐘があるのだが、往時は物見櫓でも建っていたのではないだろうか。



さていよいよ本丸だ。

模擬天守
白亜の大天守は目の前だ。

土塁跡
しかし我々お城ファンはそんな歴史的根拠の怪しい模擬建築よりも反対側の土塁に着目する。

天守の向かいにこんもりとした土盛りがわずかに残っている。



塀
その先には白漆喰の塀がめぐらされているが、これは後世の物だろう。

紛らわしいのではっきりと説明しておいてほしい。



大多喜高校
本丸の下は大多喜高校。

金属バットが硬式ボールを打つ音がここまでひっきりなしに聞こえてくる。

あそこもお城だったことは容易に想像できる。



千葉県立中央博物館大多喜城分館という名の模擬天守に入る。

入場料は一般200円。

定番の三つ折りパンフをもらう。

ここでの最大の関心事はこのパンフに縄張り図が載っているかどうかだ。

開いて見ると、あった。

あったけれども余りにも小さい。

江戸時代に描かれた「大多喜城地絵図」が載っているのだが、5~6cmの大きさで印刷されていて内容が読み取れない。

がっかりだ。



気を取り直しながら館内の展示を見ていると、城の縄張りと現在の地図を重ね合わせた図面が掲示されていた。

さっきの高校が二の丸に当たることなどが良くわかる。

しかしこの紙を片手に実際の城の現況を見て回れたらどんなに面白いか。

なんでこれを配らない。

こういうところは往々にして観光客のニーズには応えても、城ファンのニーズには鈍感なようだ。



遺構残存度2模擬天守で減点
歴史的重要度3家康の重臣・本田忠勝の城
景観2これも模擬天守で減点
案内充実度3立派な博物館の残念なパンフ

<古東海道>沼部~池上本門寺2016年01月10日

1月の3連休、初詣は普段馴染みのない所にしようということになり、池上本門寺に行って見ることにした。

ただ行ってもつまらないので、古代の東海道(古東海道)を辿ってみた。

僕らが今家族で歩いている旧東海道は江戸時代に幕府によって整備された道。

それに対して古代律令国家の官道として制定された東海道を便宜上、古代の東海道とか古東海道とかと呼んでいる。

だから正確な道筋は不明だが、だいたいの見当はつくらしい。

今回僕らは荻窪圭『東京古道散歩』(中経の文庫)の比定するルートに従って沼部から池上本門寺までを歩いて見た。




東急多摩川線沼部駅を降りて線路の西側に踏み切りを渡る。

二つ目の角を右に曲がって南に向かう。

古東海道
これが古東海道だ。

ちなみに駅のすぐ西側は多摩川の土手で、往古はそこに丸子の渡しがあったと思われる。




六郷用水
すぐに新幹線のガードをくぐると古東海道は江戸期に造られた六郷用水路沿いの遊歩道になる。




道の左手は崖
道の左手(東)は崖のように切り立った壁面で、右手(西)は土地が下がっている。

多摩川に向かって河岸段丘を形成しているのがよくわかる。

またこの辺りは神社仏閣が多いらしく、そこらじゅうにそれらしい建物や緑を見ることができる。

これもここに古代からの集落があったことの証だろう。




ふと住居表示を見ると「田園調布」とある。

ああこれがあの有名な田園調布ですか。

なるほど閑静な住宅街だ。

さっきからお腹が空いたので昼食が取れる店を探しているのだが、民家ばかりで食べ物屋どころか物を売る店というものがまるで見当たらない。

この辺の人の生活ぶりは全く見当もつかない。




そんな田園調布を歩いていると東急不動産を批判したのぼりがたくさん立っている一角に行き当たった。

そののぼりの断片的な文句を繋ぎ合わせると、どうやらこの辺りで東急不動産の大きな建設計画があってそれがこの一帯の環境や景観を破壊するということらしい。

建設現場
すると左側に広大な建設現場が現れた。

どうやらこれのことらしい。




結局何ら食べ物にありつけないまま環状8号線にぶつかった。

すぐ近くにあったコンビニのイートインで昼食を済ませた。

この辺りの人、外食はどうしてるんだろう?




光明寺
昼食の後、光明寺に立ち寄る。

奈良時代創建の古刹で、境内には古墳や往古の多摩川の流路跡と言われる池があるそうだ。

荒塚
確かに5~6世紀の古墳である荒塚は何とか見つかった。

しかし何の案内や説明もなく、『東京古道散歩』の写真がなかればまずわからなかっただろう。

池などは見当たらなかった。

境内にそういう説明の類は全くなく、坊さんの姿も見えない。

一応お参りをしようかと思ったが、賽銭箱すらなかった。

今時随分とストイックな寺だ。




環8を渡ってまたしばらく六郷用水路沿いの古東海道を歩く。

路地
途中から車の通れない路地になる。

左側は崖のような斜面。




馬頭観音
国道1号線も超えて馬頭観音の前を通り過ぎる。

萬屋酒店
やがて萬屋酒店の交差点に差し掛かる。

池上本門寺
そこで左を向けば目指す池上本門寺が見えて来る。

さっきまで人通りもまばらな道を歩いていたのが一転して初詣客で賑わっている。

加藤清正が寄進したという石段を登るとここが武蔵野台地の端っこであることを実感できる。




初詣を済ませ、国道1号線を西馬込駅まで歩いて家路に就いた。

この先この古東海道を歩くかどうかは未定。