東海道<第25日>岡部~藤枝2015年03月08日

9:25AM、心なごむもてなしを受けたきくや旅館をチェックアウトする。
きくや旅館
車は引き続き置かせてもらって僕らはきのうのゴール地点へ。

そこは良く見ると大きな枡形になっている。

すぐ目の前の観光案内所に今日も立ち寄る。



実は昨夜旅館に着いてから、案内所でもらった地図を広げて見たところこちらの方が「東海道さんさくマップ」よりもわかり易い。

きのうさんざん迷った所もこれを見れば一目瞭然だ。

そこで今日はこの地図で歩くことにした。

さらにこれから先の分の地図もあればもらおうと思って寄ったわけだ。

案内所にいた昨日とは違うおじさんによると、この地図は静岡県が作った冊子をコピーした物だということだ。

以前は無料で配布していたのだが、今は予算もなくなって絶版となってしまったらしい。

ただし下記のURLでダウンロードできることを教えてくれた。

http://www.shizuoka-tokaido.com/index.html



岡部の町並み
9:40AM、電線が地下に埋設されてすっきりした景観の岡部の街を歩き始める。

ここでは県道208号線が旧東海道だ。

道路右側に松並木が残っている。
岡部の松並木
それなりに有名な岡部の松並木だ。



松並木が途切れるあたりで旧東海道は県道を右にそれる。

このあたりは江戸時代に美濃岩村藩の飛び地であった。
岩村領傍示杭
それを示す岩村領傍示杭が西と東に復元されている。




それなりに雰囲気のある道だ。



旧道は県道208号線とクロスして進み、鬼島の一里塚跡に達するのだが、
鬼島一里塚跡
この一里塚も1本の棒になってしまっていて一行誰も気付かず通り過ぎかけたのを、最後尾の僕が気付いてみんなを呼び戻した。



樹齢500年を超えるクスが天然記念物になっている須賀神社を過ぎたあたりで地図通りの道を進んでいると右側の更地に一筋の松並木が残っている。
松並木
あっちの方が明らかに東海道っぽい。

そこで「東海道さんさくマップ」を見ると、この松並木の方を歩くようになっている。

こちらのさんさくマップもまだまだ手放すわけにはいかないようだ。



11:20AM、旧道が国道1号線と交差するところにくら寿司があったので昼食にした。



12:15PMに歩きを再開して15分ほどで藤枝宿に入る。
藤枝宿
正直ちょっと寂しい感じのアーケード街だ。



また地図には問屋場跡などの史跡が載っているのだが、歩いていてもそういった案内が見当たらない。

今地図のどのあたりを歩いているのかも判然としないままにアーケードを出てしまった。

おかしいなぁと思いながら何気なく下を向くと
下本陣跡
足元の歩道に「下本陣跡↑」というレリーフが埋め込まれていた。

吉原でもそうだったが、このやり方は非常に気付きにくい。

また下本陣とは何かというような説明も一切ない。

ちょっと残念な宿場だった。



勝草橋を渡ったところに江戸から50番目の志田一里塚蹟がある。
志田一里塚蹟
やっと200kmだ。



1:35PM、東海道沿いには珍しいやたらおしゃれな喫茶店があったので休憩にした。
カフェ・ファン・デル・フォルスト
カフェ・ファン・デル・フォルストというオランダのサッカー選手のような名前の店だ。

女房によると店内のあちこちでコメダ珈琲店と比較する声が聞こえたとのこと。

既に名古屋の喫茶文化圏に入っていることを実感。



再び歩き始めて5分ほど、旧東海道が藤枝駅に最も近付く青木バス停で今日の歩き旅を終了。

バスで岡部のきくや旅館まで戻り、車で東京に帰った。

東海道<第24日>(二軒家バス停)~岡部2015年03月07日

今回も女房の兄貴に車を出してもらっての遠征。

前回とは打って変わって雨の東名高速と新東名高速を西へ。

沼津あたりでは本降りだった雨は藤枝岡部インターチェンジを降りる頃には止んでくれた。



岡部宿近くのきくや旅館の駐車場に車を置かせてもらう。

ここが今日の宿であり街道ウォーキングのゴールでもある。



最寄の藤枝市役所岡部支所前バス停に行くとあいにくバスは今出たばかり。

仕方なく時間つぶしにすぐ近くの観光案内所をのぞくと親切なおじさんがこれから歩く所の色々な資料を渡してくれた。



バスに乗って前回のゴール地点、二軒家バス停に着いたのが11:00AM。

早速東海道ウォークを始める。



二軒家付近



旧東海道は国道1号線とつかず離れず絡みながら西に進み、1時間ほどで宇津ノ谷トンネルの手前で右にそれる。

舗装道路のカーブに沿ってそれなりに雰囲気のある日本家屋が2~3軒並んでいる。
宇津ノ谷トンネル付近
期待がふくらむ。



程なく道幅3mほどのわき道に入る。

いよいよ(あい)の宿・宇津ノ谷だ。
間の宿・宇津ノ谷
宇津の谷峠に向かう坂道の両側に木造の日本家屋が建ち並ぶ。

どの家も軒下に屋号をぶら提げている。



そのうちの一軒、「御羽織屋」に凄い物があるというので屋敷の裏へ回ってそこに吊るしてある呼び鈴を鳴らして案内を乞うと中からお婆さんが出て来て座敷に招き入れてくれた。
御羽織屋
靴を脱いで拝観料をお盆に納めると、そこには何と豊臣秀吉の小田原攻めの際に秀吉本人から拝領したという陣羽織があった。

ピンクがかった、派手好みの秀吉らしい色合いの羽織の由来を説明してくれるお婆さんは低く見積もっても80代、恐らくは90代とお見受けした。

うっかりするとこのお婆さんが秀吉から直接拝領したような錯覚に陥りそうだが、説明する口調には全くよどみがない。

この羽織を見に家康もここを訪れて、その時に置いて行った茶碗もあった。

この建物自体、柱と梁はその当時のままだということだ。

秀吉や家康が触れたかも知れない黒光りする柱を触らせてもらって御羽織屋を後にした。

いい物を見させていただいた。

娘の分の拝観料をチャラにしてくれたお婆さんの親切も心にしみる。



緩やかな坂道はさらに石段となって急坂を上り、つづら折の舗装道路に突き当たる。
石段
少し歩くと左側に「旧東海道のぼり口」という案内板があって未舗装の坂道が延びている。
峠に向かう道
いよいよ峠越えの始まりだ。



5分ほどで宇津ノ谷の集落を見下ろせる場所があったので、ここで沼津駿河サービスエリアで買った弁当を広げた。
宇津ノ谷集落



右側の崖下には明治時代のトンネルを抜ける抜けるハイキングコースがあるらしい。

ここから見ていると次から次へとハイカーが歩いて来る。

それにひきかえ旧東海道には誰も来ない。

なぜだろう?



1:20PM、昼食を終えて歩き始める。

10分ほど歩いたところで斜面を石垣で固めた一画が忽然と現れる。
地蔵堂跡
これは江戸時代に地蔵堂があった跡だ。



そこからさらに5分ほどで両側の斜面が迫って道がV字形になっている所に出る。

ここが峠だ。
宇津ノ谷峠
思ったよりあっさり着いた。

あとは下り坂。



その下り坂がさっきまでの上りよりも急勾配で、しかも若干長い印象だ。
下り坂
京都側から歩くと意外ときつい峠なのかも知れない。



峠から15分ほどで舗装道路に合流する。

この先は国道1号線の敷設で地形が大きく変わっていてどれが旧東海道なのか判然としない。

「東海道さんさくマップ」を見ても大雑把で要領を得ない。

とにかく2:05PMに国道1号線沿いの道の駅宇津ノ谷峠に着いたので休憩をとる。
道の駅宇津ノ谷峠
その後旧道の道筋を確かめようと引き返したものの、結局よくわからずに再び道の駅に戻るまで30分ほどロスする。

道の駅から先は比較的分かりやすい旧道が続いて県道208号線に合流する。

すぐに枡形跡の説明版が建っている。
枡形の跡付近
枡形とは敵の侵入を妨げるために宿場の出入り口に設けられた道を鉤方に屈曲させた場所のことだが、今この県道は真っ直ぐにしか見えない。

ここから岡部の宿場が始まるはずなのだが、それらしい雰囲気も無い。



やがて旧道は県道を右にそれる。

そのポイントに西行法師ゆかりの「笠懸松と西住墓」という説明版があって、さして古くもない松が植わっている。
笠懸の松付近
不勉強で、それを読んでも何のことかよくわからなかった。



その旧道が再び県道に合流した所に大旅籠かしばがある。
大旅籠柏屋
ここは今に残る旅籠の建物を資料館として公開している。

中に入ると上がり框で足を洗う二人の旅人(野次喜多?)のろう人形などがあって往時の雰囲気を再現している。



隣は本陣跡で、こちらは建物はなく立派な門が残っている(再建か?)。

その門をくぐると本陣の広大なスペースが広場になっていて、間取りが地面に描かれている。

門の内側は一段高くなっていてステージのようになっている。
本陣跡
ここでライブをやったら楽しいかも知れない。

「向島純情楽団ライブ・アット岡部宿本陣」

いいぞ。



旧東海道はまたすぐに県道をそれて進み、5分ほどで50cmほどの小さな橋に至る。
姿見の橋
これは晩年の小野小町が水面に映った自らの老残の姿を嘆いたという伝説が残る姿見の橋。



その先宿場の半ばあたりで再び枡形らしき道の屈曲を経て、一軒の堂々たる門構えの旧家の前に出る。
中山儀助邸
元サッカー日本代表・中山雅史さんの実家だ。

数年前に日本旧来の工法でリフォームしたというお宅の表札には一時期テレビに出まくっていた「中山儀助」の文字。

ここであの素晴らしいパーソナリティが育ったわけだ。



そこから5分ほどで旧東海道が今夜の宿・きくやに最も接近する地点に達するので、ここを本日のゴールとして宿にチェックインした。

丸子(まりこ)城2015年02月15日

丸子城の三日月堀
丸子まりこ城を目指して静岡市内の国道1号線を車で西に向かい、駿府匠宿入口交差点で右折する。
すぐにその駿府匠宿とやらの駐車場が右に見えるので誘導のおじさんに、
「丸子城に行きたいんだけど」
と聞くと
「この先車を停める所はないからここに入れていけ。後ろもつかえてるし」
とのこと。
振り返ると後ろにもう何台か続いている。
駿府匠宿 まだ9時になったばかりだというのに。
なにがあるのか知らないが、駿府匠宿は流行っているらしい。

車を降り歩き始める。
手には昨日とろろ飯で有名な丁子屋で100円で買った『戦国のロマンを訪ねて丸子城址をあるく」という小冊子。
山里には不釣合いな真新しい日本風建築が建ち並ぶ前を北に向かって緩やかに坂を上る。
泉ヶ谷 左手に丸子城に向かう小道があるのでそちらに進む。
茶畑の脇を通り、梅林の斜面を一気に上る。

息が上がった頃に視界が開け、振り返ると泉が谷の集落が見渡せる。

丸子稲荷からの眺望 さらに登ると小さな祠が建っている。
丸子稲荷神社の奥宮だ。
ここは外曲輪でもあった。
『丸子城址をあるく』にはここから駿河湾や伊豆の山並みまでが見えると書いてあるが、いまでは樹木が茂って眺望はほとんど開けない。

三日月堀 そこから尾根道を進み斜面を登ると見事な三日月掘が現れる。
この辺りの城のご多聞に漏れずこの丸子城も、今川→武田→徳川と持ち主が変遷している。
この堀は武田時代の物らしい。

竪堀 東の曲輪(現地案内板では大手曲輪)を経て北の曲輪に入る。
ここは今川時代の本丸だ。
竪堀や土塁が明瞭に残っている。

枡形虎口 さらに三の丸、二の丸を過ぎるとざっくりとした堀切と枡形虎口を経て本丸(本曲輪)に入る。
ここが武田時代の本丸だ。
左手に東袖曲輪が階段状に下りて行き、右手に下りると物見曲輪、堀を隔てて大鈩おおだたら曲輪が見える。

必ずしもメジャーな城ではないが、遺構が良く残って見所満載だ。
整備は最小限にとどめられているようなので、生々しさも失っていない。
また、この城を訪れる方は丁子屋で『丸子城址をあるく』を予め買っておくことをおすすめする。
100円。

遺構残存度5見事な堀、曲輪の数々
歴史的重要度3戦略的重要ながら実践経験はなし
景観3樹木のせいでほとんど見えない
案内重要度2もう少しあると良かった

東海道<第23日>府中~丸子2015年02月14日

安倍川と富士山
東名高速で静岡に向かう 今回の東海道歩きは自動車での遠征にチャレンジ。
柏市内の女房の兄貴の家を5:30AMに出発、2度の休憩を挟んで静岡駅から南に800mの静岡ビクトリアホテルに着いたのが10:30AM。
ホテルの立体駐車場に車を置いて歩き始める。

徳川慶喜屋敷跡 まずは駅のすぐ北にあるはずの徳川慶喜屋敷跡を目指す。
鳥羽・伏見の戦いに敗れて新政府に恭順した慶喜が移り住んで20年を過ごした屋敷だ。
意外と探すのに手間取って、20分ほど時間をロスしてやっと現在は浮月楼という料亭になっている屋敷跡にたどり着いた。
門構えに高級感が漂う。
勿論入る度胸はない。
婚礼が終わったところと思しき敷地内を門外からちょこっとのぞいて立ち去った。

11:25AM、前回のゴール地点、駿府城近くの交差点から1年振りの東海道歩きを始める。

呉服町 道筋は静岡市の中心街をジグザグに縫って行く。
往時のままと思われるヒューマンスケールの道幅が心地良く、道の両側には商店が建ち並んでいて活気がある。
喫茶店も多い。
とても好感の持てる街だ。

安倍川の川会所跡 中心街を出てしばらく歩き、空腹に耐えかねて通りすがりの店でたい焼きを買い食いして、また歩き始めるとすぐに有名な安倍川餅の店が見えてきた。
餅屋に入る前に、その向かいの公園に立ち寄る。
旧街道が国道362号線と合流する地点に設けられたこの三角公園は川会所跡
江戸時代、この目の前の安倍川には橋を架けるのが禁じられていた。
旅人は川越人夫を雇って川を渡るのだが、その人夫を監督する役所が川会所だ。
なぜ架橋が禁じられていたかというと、西国から敵が攻め上って来るのを食い止めるためだそうな。
いつもながら社会の発展よりも自家体制の安泰のみを優先する徳川幕府の小心さには辟易させられる。

由井正雪公之墓趾 細長いこの三角公園の先端部分は立場の跡で、その手前には大きな石碑が建っている。
何かと思って見ると由井正雪公之墓趾である。
幕権華やかなりし江戸前期に幕府転覆を企てた人物だが(露見して自害)、歴史的な業績に対してこの石碑は大き過ぎないだろうか?
どうやらこれを建てた明治政府は敵の敵は味方とばかりに徳川幕府にたてついた人間は何でも顕彰したかったらしい。

せきべや さて安倍川餅屋のせきべやに入る。
図体のでかい亭主が無愛想に迎える。
壁には有名人のサインがびっしりと並んでいる。
この中の、例えば黒柳徹子に対しても同じ態度で接するのだろうか?
餅はあんこと黄な粉があってどちらも美味しかった。

店を出ると同じような茶屋が何軒か並んでいて、安倍川手前の立場の雰囲気が感じられる。
せきべやの軒下には鉄アレーが転がっていた。
あの亭主の物だろう。

安倍川 1:20PM、青空の下、安倍川橋で安倍川を渡る。
現代の安倍川は水量がめっきり減ったのか、これなら川越人夫なんか雇わなくても自力で渡れそうだ。
対岸の堤防まで行って振り返ると富士山がきれいに見える。
しばしここで撮影タイム。

安倍川西岸の旧道 安倍川の渡しのルートは現代の安倍川橋よりもやや南にあったらしい。
そこで橋の袂から南を見ると、数メートル先に堤防から川の反対方向に下りる階段が見える。
ここで僕の“旧街道センサー”が反応する。
街道を横切る川の堤下には往々にして立場の雰囲気の残る一画があったりする。
中山道の塩名田などで経験済みだ。
今この堤防を下りる階段から見下ろすと、軒の低い古ぼけた日本家屋が3軒並んでいてそれなりの風情を醸している。
ここが立場の跡だという標識等はなかったが、旧街道であることは確信した。

丸子に向かう旧東海道 その道はすぐに安倍川橋を渡った国道362号線と合流して丸子まりこに向かう。
所々にかなりの樹齢と思われる松がポツンと立っている。
松並木の名残だろうか。

枡形の跡 2:35PM、明瞭な枡形の跡があってここから丸子宿であることがわかる。
かなりお腹が空いてきたが、今日の昼食は広重の絵でも有名な丁子屋のとろろご飯と決めているので、我慢して静かで小さな住宅地となった丸子宿を歩き続ける。

丁子屋 3:10PM、河沿いの坂をわずかに上ったところに丁子屋が現れた。
確かに広重が浮世絵に描いた通りの茅葺屋根の鄙びたたたずまいだ。
ところが中に入って「4名さま、どうぞこちらへ」と案内されるままに奥へと進むと小さな小屋のような建物の奥に建て増しがしてあって、通されたのはテニスコートが2面取れそうなほどの大広間。
イメージが軽く狂う。

麦飯にとろろ汁をかけて食べるとろろ飯は女房と女房の兄貴には好評だったが、僕はとろろ汁と麦飯の分量の程よいバランスが最後までつかめず、ご飯を食べ終わった後にかなり残ったとろろ汁をずずーっとすする破目になった。

高札場跡 食事を終え店の目の前の丸子橋を渡ると、そこに江戸時代の高札場が再現されている。
ここのベンチで、さっきとろろ飯を食べなかった娘にパンを食べさせる。
向かいはなんと丁子屋の第2駐車場だ(第1駐車場はあの大広間の裏)。
広重の浮世絵に描かれた通りの外観を守って山里でひっそりと商いを続けているようなイメージを持ってやって来たが、実際は随分と派手にやっているようだ。
相当のヤリ手がいるらしい。

そこから20分ほど歩いて旧東海道が国道1号線と合流するところで今日の行程を終わりにして、二軒屋バス停から静岡駅に引き返した。
明日は街道は歩かずに観光する。
さてバスが走り始めてすぐ、窓の外に見えたある物に僕らは驚愕した。
丁子屋第3駐車場!

新選組近藤勇陣屋跡2014年11月02日

近藤勇陣屋跡
今日の最後の目的地はお城ではなく、新選組近藤勇陣屋跡

鳥羽・伏見以来敗退を重ねた新選組はここ流山で再起を期した。
しかし有馬藤太率いる新政府軍に包囲され、観念した局長近藤勇は一旦は切腹を決意するが、副長土方歳三の進言を容れて変名の大久保大和として出頭することにする。
だが新政府軍に近藤の顔を知っている者がいたため身元が露見、板橋で斬首に処される。

近藤勇陣屋跡 丘の上にそびえる流山市役所の駐車場に車を停め、坂を下って大通りから往時のままの道幅と思われる路地に入ると真新しい土蔵風の建築が見える。
近藤が本陣として使用した土蔵を模した物だろう。

平成15年発行の『新選組紀行』中村彰彦[著]によるとここに廃屋同然の土蔵が建っていたということなので、その時点では当時のままの建物が残っていたのかも知れない。
現在では去年建てられた土蔵風建築の手前の展示スペースに礎石だけがわずかに残されている。

結果的にここが近藤・土方永遠の別離の地となった。

新選組人気は依然根強いものがあり、ここにもファンがひっきりなしに訪れる。

路地をさらに進むと墓地と閻魔堂があり、そこで昔の巡査みたいな扮装の男と新選組の制服を着た(コスプレをした?)女の子二人がファン相手に何やらやっている。
どうやら流山での新選組について説明しているらしい。
巡査姿の男は、
「観光協会の方々は史実を無視して流山の観光スポットに強引に結びつけようとするので困ります」
とボヤいていた。

新選組に斬られる巡査 その後女の子が剣舞を披露し、大河ドラマでも仕事している殺陣師につけてもらったという殺陣も見せてもらった。
女子高生のような新選組が巡査を斬るというシュールな見世物だったが、
「ちょっと待ってって言ってるのにぃぃぃ」
とか言いながら斬られる巡査男の斬られ方が特に上手かった。
芸能界にいた人だろうか。

路地を引き返していると、また二人の新選組姿の女性とすれ違った。
今度はややベテランだ。
「ありがとうございました」
と声をかけてくれた。
新選組は格好のコスプレ・ネタとして現代に息づいているようだ。