苗木城2015年07月12日

岩村城を堪能した後は苗木城へ。



苗木遠山史料館を見学。
苗木遠山史料館
そこにあった苗木城の復元ジオラマは山の斜面にびっしりとあばら家みたいなのが建っていて、岩盤の白さもあって故郷の須崎峠にあった石灰採掘工場を思い出させる。



史料館の右脇の石段から登城を始める。

10分ほどで主郭部の下にたどり着く。
苗木城の石垣
こりゃまた凄い石垣だ。



主郭の周りを反時計回りに回りながら本丸を目指す。

二の丸では建物の礎石が整然と残っている。
二の丸



娘が陶器のかけらを拾った。
陶器のかけら
文様の感じから往時の遺物かも知れないし、観光客の落し物かも知れない。

とりあえず元の所に戻させた。

良く見るとそこらじゅうに転がっていた。



削平地が段々畑状に連なる帯郭を登る。
帯郭
どんどん高度も上がる。



いよいよ本丸口門から本丸に入る。
本丸口門跡
山頂部の形状のせいか、本丸に入っても広場のようなものはなく、まだきりもみ状に登ってゆく。



本丸のてっぺんには巨岩2個(自然石)を石垣でつないで、その上に展望台ができている。
天守跡
往時はここに三層の天守が上がっていたそうだが、怖くなかったのだろうか?



それはともかくこの展望台からの眺めは素晴らしい!
天守跡からの眺め



菱櫓門跡などを見ながら主郭とはちょっと離れた出丸的な三の丸へ。

そこの大矢倉跡の石垣に上ってみる。
大矢倉跡

向かいには本丸の石垣が見える。
本丸の石垣
ダイナミックな眺めだ。



苗木城は岩村城の支城として戦国期に築城され、岩村遠山家の分家が城主だった。

秀吉の時代に城を追われていたが、関が原の後にカムバックを果たし、維新まで苗木藩主として城ともども存続する。



遺構残存度5自然石と石垣の融合
歴史的重要度3岩村城の支城
景観5天守跡からの眺め
案内充実度4過不足なし




岩村城と苗木城。

今日一日石垣の見事な城をハシゴして思い出すのは太田金山城のことだ。

あの城も本当はこんな感じにしたかったのだろう。

往時を忠実に復元しようとする真面目な熱意をもってしても、風雪を経た本物の迫力とリアリティには遠く及ばない。

岩村城2015年07月12日

中津川駅前のトヨタレンタカーで予約しておいたヴィッツを借りて岩村に向かう。

50分ほどで復元された太鼓櫓と門が入り口にそびえる岩村歴史資料館に着いた。
復元太鼓櫓
ここは藩主の屋敷跡らしいが、既にかなり山を登っている。



ここで軽くお勉強した後、飲み物を買いたかったが売っているような雰囲気ではない。

そこで受付のおじさんに相談すると向かいの旅館に電話で話をつけてそこの自動販売機で買わせてもらった。

何せ今日も暑そうなので、山城に登るのに飲み物は絶対に必要だ。

岩村城登城口という石碑が建つところから登り始める。
登城口


石畳の坂道を10分ほど登る。
石畳

すると一之門跡の石垣が現れる。
一之門
苔むしたなかなか味わい深い石垣だ。



それから道の両側に石垣が迫ってくるようになる。
石垣
近世の城らしいシャープな石垣だ。



そして六段壁という六段構えの石垣が現れる。
六段壁
元々は最上段だけ石垣だったのが、崩落を防ぐために改修を繰り返してこのような形になったらしい。



この上が本丸なのだが、その外周を帯曲輪を通って回ってみる。
帯曲輪
びっしりと石垣で固めてある。



途中の出丸が駐車場になっていて、そこに立派なトイレがあるので借りる。

出丸からは城下が樹木の間からわずかに遠望できる。
岩村城下



埋門から本丸に入る。
埋門

勿論枡形になっている。
枡形



本丸からは周りの山々が良く見渡せる。
本丸
この城の標高が高いことも実感できる。

天空の城とはまさにこのことだ。

こんな山の上まで大量の石を運んで来れたものだ。



岩村城は元々この地を治める遠山氏の城だった。

戦国時代に入ると織田氏と武田氏の領土争いの最前線となった。

岩村景任は織田方に属し、信長の叔母を妻としていた。

景任の病没後、未亡人は実質的な女城主として城を差配することになる。

しかし元亀3年(1572)、武田信玄の大軍に包囲されると籠城戦の末、女城主は武田の家臣・秋山信友の妻となって開城した。

これに激怒した信長は天正3年(1575)に岩村城を奪還すると信友夫妻を長良川で逆さ磔にして殺した。

その後城主を転々と替えながらも明治維新まで存続した。

江戸時代にこの山城はさぞかし時代遅れだったのではないだろうか。



さて武田氏滅亡の当日、信長はこの城にいたらしい。

この本丸でその報せを受け取ったのではないだろうか。

そしてその80日後に本能寺で斃れるのである。



遺構残存度5見事な石垣の連続
歴史的重要度4織田・武田抗争の最前線
景観4城下と山々の眺め
案内充実度4過不足なし

中山道<第33日>中津川~大井2015年07月11日

昨夜の11:20PMに代々木を出発した高速バスが、今朝4:50AMに中津川駅のひとつ手前の淀川バス停に到着した。
新宿から乗って来たバス
これから5年振りの中山道を歩く。

バス停近くの防災公園で昨日のうちに買っておいたパンを食べてから前回のゴール地点、四ツ目川橋まで歩く。
四ツ目川橋
朝もやが薄れて青空がのぞき始めた。

人通りはほとんどない。

6:00AM、四ツ目川橋を渡りいよいよ5年振りの中山道を歩き始める。

5年前はベビーキャリーで背負っていた娘も今では小学1年生、今日は中津川宿から大井宿までの約10kmの行程を歩かせる予定。



四ツ目川橋を渡った中津川宿は往時のままの道幅に旧い家屋が点在する。
中津川宿
幕末関係の資料が展示されているという中津川市中山道歴史資料館は時間が早過ぎて残念ながらパス。

その1軒先の見事な卯建の上がる建物が中津川村の庄屋宅、
中津川村旧庄屋宅

その向かいの駐車場が本陣跡。
中津川宿本陣跡
建物は跡形もないが敷地の広さだけは実感できる。



突き当りを左に折れるとさらに旧家屋が建ち並ぶ一画に出る。
中津川宿
濃茶の木材と白漆喰のコントラストが美しい。

宿場としてはさほど期待していなかった中津川だったが、予想に反して見所豊富な宿場だった。



宿場を出ると低層の木造民家が軒を連ねる住宅地。

その民家がだんだんまばらになってこでの木坂という坂を上るとすぐに上宿一里塚
上宿一里塚
今日最初の一里塚だ。



旧中山道が国道19号線と国道257号線に合流する直前の三角地帯に小石塚立場跡があり、現在ではデイリーヤマザキになっているので、そこで飲み物や食料を買い込みながら休憩。
小石塚立場跡
トイレも借りて再出発したのが7:40AM。

早くも暑くなってきた。

そういえば今日の岐阜市の予想最高気温は30℃を超えていた。



一瞬国道と合流した旧中山道はすぐに右にそれる。
笠置山
緩やかなアップダウンと蛇行を繰り返しながら正面の笠置山に向かって進んでゆく。



千旦林村の高札場跡を過ぎて10分ほどで旧中山道はさらに左の細い道に分岐して、ほとんど田んぼの中の畦道となる。
旧中山道
緑の田園の中を右前方に笠置山を見ながら歩く。

実にのどかなひとときだが、気温はどんどん上がっている。

娘はかなり疲れている。



8:47AM、三ツ家の一里塚跡を通過。
三ツ家一里塚跡


細かく休みながら進み、茄子川村の高札場跡を過ぎてすぐの尾州白木改番所跡の向かいの空き地で娘にさっき買ったおにぎりを食べさせる。
尾州白木改番所跡


皇女和宮や明治天皇も休憩したという茄子川小休所篠原家の見事な建物の前を通り過ぎ、
茄子川小休所篠原家
小高い丘を二つ越えると中津川市と恵那市の境界があり、そこに中山道と書いた大きな碑が建っている。

10:00AM、やっと恵那市に入った。



この頃から娘は「(ゴールは)まだ?まだ?」と繰り返すようになった。

どこかで思い切って休まねばと思いながら歩いていると、甚平坂を上りきったところにおあつらえ向きなあずまやがあったので休憩する。
甚平坂からの眺め
すると前夜バスに乗る前に飲んだ酔い止めが効いてきて僕も女房もそこで居眠りをしてしまった。

10分ほどだっただろうか?



再出発して笠置山を右に見ながら歩いていると、関戸一里塚跡を通過した。
関戸一里塚跡
今日3つ目の一里塚だ。

一日に3つの一里塚を通過するのは本当に久しぶりな気がする。

11:07AM、ゴールは近い。



そのすぐ先の下り坂の向こうに恵那の市街地が見えてきた。
恵那の市街地が見えてきた
下り坂はやがて民家の間の路地となって大井宿の高札場に達する。
大井の高札場跡
11:20AM、大井宿に入った。



街道は大井宿に入るとすぐに左に屈曲する。
左に屈曲
大井宿に特徴的な大きな枡形の始まりだ。



豪壮な塀と門が残る本陣の前で右に曲がり、
大井宿本陣跡
旧庄屋の中山道ひし屋資料館(本当は寄りたかったが、娘の状態を見て断念)の前を通り、
中山道ひし屋資料館
旧家屋を活かしたいち川という旅館の角でまた右に曲がる。

ここにも旧庄屋の家屋が残っていて、その前を通り市神神社の突き当りを左に折れる。

さらに阿木川と平行する格好で左折して、大井橋で右に曲がる。

城下町並みに道が屈曲しているのは、幕府がここに城を築くつもりだったためらしい。



大井宿
旧い日本家屋がきれいに黒塗りされて良く残っている宿場だった。



大井橋を渡ると変哲のない駅前通という感じ。
大井宿
11:44AM、旧中山道が恵那駅から延びる道と交差するところで今日の中山道の旅を終了した。



その後駅前の喫茶店で昼を食べて、明智鉄道で岩村に向かう。

勿論岩村城を見るためだが、岩村で降りてちょっと歩いただけで娘はグロッキー状態だったので断念して翌日にまわすことにした。
岩村の城下町
それでもここまで良く頑張った。

東海道<第25日>岡部~藤枝2015年03月08日

9:25AM、心なごむもてなしを受けたきくや旅館をチェックアウトする。
きくや旅館
車は引き続き置かせてもらって僕らはきのうのゴール地点へ。

そこは良く見ると大きな枡形になっている。

すぐ目の前の観光案内所に今日も立ち寄る。



実は昨夜旅館に着いてから、案内所でもらった地図を広げて見たところこちらの方が「東海道さんさくマップ」よりもわかり易い。

きのうさんざん迷った所もこれを見れば一目瞭然だ。

そこで今日はこの地図で歩くことにした。

さらにこれから先の分の地図もあればもらおうと思って寄ったわけだ。

案内所にいた昨日とは違うおじさんによると、この地図は静岡県が作った冊子をコピーした物だということだ。

以前は無料で配布していたのだが、今は予算もなくなって絶版となってしまったらしい。

ただし下記のURLでダウンロードできることを教えてくれた。

http://www.shizuoka-tokaido.com/index.html



岡部の町並み
9:40AM、電線が地下に埋設されてすっきりした景観の岡部の街を歩き始める。

ここでは県道208号線が旧東海道だ。

道路右側に松並木が残っている。
岡部の松並木
それなりに有名な岡部の松並木だ。



松並木が途切れるあたりで旧東海道は県道を右にそれる。

このあたりは江戸時代に美濃岩村藩の飛び地であった。
岩村領傍示杭
それを示す岩村領傍示杭が西と東に復元されている。




それなりに雰囲気のある道だ。



旧道は県道208号線とクロスして進み、鬼島の一里塚跡に達するのだが、
鬼島一里塚跡
この一里塚も1本の棒になってしまっていて一行誰も気付かず通り過ぎかけたのを、最後尾の僕が気付いてみんなを呼び戻した。



樹齢500年を超えるクスが天然記念物になっている須賀神社を過ぎたあたりで地図通りの道を進んでいると右側の更地に一筋の松並木が残っている。
松並木
あっちの方が明らかに東海道っぽい。

そこで「東海道さんさくマップ」を見ると、この松並木の方を歩くようになっている。

こちらのさんさくマップもまだまだ手放すわけにはいかないようだ。



11:20AM、旧道が国道1号線と交差するところにくら寿司があったので昼食にした。



12:15PMに歩きを再開して15分ほどで藤枝宿に入る。
藤枝宿
正直ちょっと寂しい感じのアーケード街だ。



また地図には問屋場跡などの史跡が載っているのだが、歩いていてもそういった案内が見当たらない。

今地図のどのあたりを歩いているのかも判然としないままにアーケードを出てしまった。

おかしいなぁと思いながら何気なく下を向くと
下本陣跡
足元の歩道に「下本陣跡↑」というレリーフが埋め込まれていた。

吉原でもそうだったが、このやり方は非常に気付きにくい。

また下本陣とは何かというような説明も一切ない。

ちょっと残念な宿場だった。



勝草橋を渡ったところに江戸から50番目の志田一里塚蹟がある。
志田一里塚蹟
やっと200kmだ。



1:35PM、東海道沿いには珍しいやたらおしゃれな喫茶店があったので休憩にした。
カフェ・ファン・デル・フォルスト
カフェ・ファン・デル・フォルストというオランダのサッカー選手のような名前の店だ。

女房によると店内のあちこちでコメダ珈琲店と比較する声が聞こえたとのこと。

既に名古屋の喫茶文化圏に入っていることを実感。



再び歩き始めて5分ほど、旧東海道が藤枝駅に最も近付く青木バス停で今日の歩き旅を終了。

バスで岡部のきくや旅館まで戻り、車で東京に帰った。

東海道<第24日>(二軒家バス停)~岡部2015年03月07日

今回も女房の兄貴に車を出してもらっての遠征。

前回とは打って変わって雨の東名高速と新東名高速を西へ。

沼津あたりでは本降りだった雨は藤枝岡部インターチェンジを降りる頃には止んでくれた。



岡部宿近くのきくや旅館の駐車場に車を置かせてもらう。

ここが今日の宿であり街道ウォーキングのゴールでもある。



最寄の藤枝市役所岡部支所前バス停に行くとあいにくバスは今出たばかり。

仕方なく時間つぶしにすぐ近くの観光案内所をのぞくと親切なおじさんがこれから歩く所の色々な資料を渡してくれた。



バスに乗って前回のゴール地点、二軒家バス停に着いたのが11:00AM。

早速東海道ウォークを始める。



二軒家付近



旧東海道は国道1号線とつかず離れず絡みながら西に進み、1時間ほどで宇津ノ谷トンネルの手前で右にそれる。

舗装道路のカーブに沿ってそれなりに雰囲気のある日本家屋が2~3軒並んでいる。
宇津ノ谷トンネル付近
期待がふくらむ。



程なく道幅3mほどのわき道に入る。

いよいよ(あい)の宿・宇津ノ谷だ。
間の宿・宇津ノ谷
宇津の谷峠に向かう坂道の両側に木造の日本家屋が建ち並ぶ。

どの家も軒下に屋号をぶら提げている。



そのうちの一軒、「御羽織屋」に凄い物があるというので屋敷の裏へ回ってそこに吊るしてある呼び鈴を鳴らして案内を乞うと中からお婆さんが出て来て座敷に招き入れてくれた。
御羽織屋
靴を脱いで拝観料をお盆に納めると、そこには何と豊臣秀吉の小田原攻めの際に秀吉本人から拝領したという陣羽織があった。

ピンクがかった、派手好みの秀吉らしい色合いの羽織の由来を説明してくれるお婆さんは低く見積もっても80代、恐らくは90代とお見受けした。

うっかりするとこのお婆さんが秀吉から直接拝領したような錯覚に陥りそうだが、説明する口調には全くよどみがない。

この羽織を見に家康もここを訪れて、その時に置いて行った茶碗もあった。

この建物自体、柱と梁はその当時のままだということだ。

秀吉や家康が触れたかも知れない黒光りする柱を触らせてもらって御羽織屋を後にした。

いい物を見させていただいた。

娘の分の拝観料をチャラにしてくれたお婆さんの親切も心にしみる。



緩やかな坂道はさらに石段となって急坂を上り、つづら折の舗装道路に突き当たる。
石段
少し歩くと左側に「旧東海道のぼり口」という案内板があって未舗装の坂道が延びている。
峠に向かう道
いよいよ峠越えの始まりだ。



5分ほどで宇津ノ谷の集落を見下ろせる場所があったので、ここで沼津駿河サービスエリアで買った弁当を広げた。
宇津ノ谷集落



右側の崖下には明治時代のトンネルを抜ける抜けるハイキングコースがあるらしい。

ここから見ていると次から次へとハイカーが歩いて来る。

それにひきかえ旧東海道には誰も来ない。

なぜだろう?



1:20PM、昼食を終えて歩き始める。

10分ほど歩いたところで斜面を石垣で固めた一画が忽然と現れる。
地蔵堂跡
これは江戸時代に地蔵堂があった跡だ。



そこからさらに5分ほどで両側の斜面が迫って道がV字形になっている所に出る。

ここが峠だ。
宇津ノ谷峠
思ったよりあっさり着いた。

あとは下り坂。



その下り坂がさっきまでの上りよりも急勾配で、しかも若干長い印象だ。
下り坂
京都側から歩くと意外ときつい峠なのかも知れない。



峠から15分ほどで舗装道路に合流する。

この先は国道1号線の敷設で地形が大きく変わっていてどれが旧東海道なのか判然としない。

「東海道さんさくマップ」を見ても大雑把で要領を得ない。

とにかく2:05PMに国道1号線沿いの道の駅宇津ノ谷峠に着いたので休憩をとる。
道の駅宇津ノ谷峠
その後旧道の道筋を確かめようと引き返したものの、結局よくわからずに再び道の駅に戻るまで30分ほどロスする。

道の駅から先は比較的分かりやすい旧道が続いて県道208号線に合流する。

すぐに枡形跡の説明版が建っている。
枡形の跡付近
枡形とは敵の侵入を妨げるために宿場の出入り口に設けられた道を鉤方に屈曲させた場所のことだが、今この県道は真っ直ぐにしか見えない。

ここから岡部の宿場が始まるはずなのだが、それらしい雰囲気も無い。



やがて旧道は県道を右にそれる。

そのポイントに西行法師ゆかりの「笠懸松と西住墓」という説明版があって、さして古くもない松が植わっている。
笠懸の松付近
不勉強で、それを読んでも何のことかよくわからなかった。



その旧道が再び県道に合流した所に大旅籠かしばがある。
大旅籠柏屋
ここは今に残る旅籠の建物を資料館として公開している。

中に入ると上がり框で足を洗う二人の旅人(野次喜多?)のろう人形などがあって往時の雰囲気を再現している。



隣は本陣跡で、こちらは建物はなく立派な門が残っている(再建か?)。

その門をくぐると本陣の広大なスペースが広場になっていて、間取りが地面に描かれている。

門の内側は一段高くなっていてステージのようになっている。
本陣跡
ここでライブをやったら楽しいかも知れない。

「向島純情楽団ライブ・アット岡部宿本陣」

いいぞ。



旧東海道はまたすぐに県道をそれて進み、5分ほどで50cmほどの小さな橋に至る。
姿見の橋
これは晩年の小野小町が水面に映った自らの老残の姿を嘆いたという伝説が残る姿見の橋。



その先宿場の半ばあたりで再び枡形らしき道の屈曲を経て、一軒の堂々たる門構えの旧家の前に出る。
中山儀助邸
元サッカー日本代表・中山雅史さんの実家だ。

数年前に日本旧来の工法でリフォームしたというお宅の表札には一時期テレビに出まくっていた「中山儀助」の文字。

ここであの素晴らしいパーソナリティが育ったわけだ。



そこから5分ほどで旧東海道が今夜の宿・きくやに最も接近する地点に達するので、ここを本日のゴールとして宿にチェックインした。