東海道<第4日>(新子安駅)~保土ヶ谷2010年04月24日

本覚寺からの眺め
前回たったの7kmしか進まずに終了した新子安の駅前を10:30AMに出発。
女房の兄貴とは10:00AMちょうどにここで合流したのに娘のオムツ替えや何やらでもう30分も経っている。
予定ではこれから東戸塚駅までの13kmを歩くつもりだが、どうなることやら。

浄龍寺まずは第1京浜を神奈川方面へ。
道路の左側を歩いていると自転車で通りかかったおじさんが
「東海道こっち側は何にもないよ」
と教えてくれたので次の信号で右側へ。
すると前方遠くの横浜駅前の高層ビル群が大きく見えてきた頃、通り沿いの酒屋の看板に「神奈川宿四ツ角」という文字を見て辛うじて神奈川宿に入ったことを知る。
そのすぐ先の案内板には本陣跡の案内などがあるが、現地にその名残は何もない。
ただ東海道を右にそれて路地に入ると古いお寺がいくつかあり、その中には幕末の開港当時、英国の領事館にあてられた浄龍寺もある。

洲崎大神 旧東海道は第一京浜を右にそれて“宮前商店街”となる。
その“宮”とは商店街に入ってすぐ右にある洲崎大神。
休憩がてら寄ってみると四方を鬱蒼とした樹木に覆われて昼なお薄暗く不気味ですらある。
『江戸名所図会』ではこの参道のすぐ先が船着場だったのだが、現在では埋め立てられて第一京浜が通るのみである。

本覚寺 開港当時フランス公使館とされた甚行寺を右に見ながら進むと京急神奈川駅前で視界が開け、右手の丘の上に米国領事館であった本覚寺が見える。
総領事タウンゼント・ハリス自ら検分してこの地に決したというその丘に登ってみると、なるほどここからは横浜市街(つまり当時の横浜港)が一望のもとに見渡せる。
さっき通った洲崎大神前の船着場も近い。
絶好の立地と言えよう。
岩瀬忠震の顕彰碑山門の前にはハリス相手に通商条約締結の交渉に当たった、謂わばハリスの好敵手であった岩瀬忠震の顕彰碑がある。
うちの近所の白鬚神社にはその岩瀬の墓碑がある。
(そこを訪れた日のブログはこちら。岩瀬の事跡についても)

また、前回現場を訪れて勉強した生麦事件の被害者の英国人たちが逃げ込んだのもこの本覚寺だったそうだ。
なぜ英国人の彼らが英国領事館の浄龍寺ではなく、より遠い米国公使館に逃げ込んだのか、これも前回訪問した生麦事件参考館の館長さんの話の中にあったはずだが忘れてしまった。

田中屋の脇の路地山を下り、旧東海道に戻ると台町の上り坂となる。
広重の浮世絵で見ると坂の左手に茶屋が建ち並び、その背後は神奈川湊の海という素晴らしいロケーションだが、いまでは高級そうなマンションが建ち並び、その背後はただのビル街である。
そんな中、かつての風情をわずかに残す料亭が2軒あるのだが、そのうちの1軒「田中屋」は広重の絵に登場する「さくらや」が前身だそうで、しかも明治7年頃には坂本龍馬の妻おりょうが働いていたらしい。
そしてここで再婚相手となる西村松兵衛と出会う。
京都で生まれ、龍馬と出会って薩摩、下関を旅し、龍馬死後は土佐、東京、神奈川と流れ、そして横須賀で没する。
おりょうの人生における移動距離というのも龍馬に負けず劣らず相当なものだ。

田中屋の脇の路地はそこがかつて海に落ちる崖だったことを思い出させる急勾配の階段になっている。

神奈川台の番所跡 この少し先には開港以来相次ぐ“異人斬り”への対策として幕府が設けた神奈川台の番所の跡がある。
鶴見にあったやつと同じだが、どちらも景勝の地に設けられており、英国公使館にされた桜の名所御殿山とも併せて庶民の感情を逆撫でしたことだろう。
(御殿山を訪れた日のブログはこちら)

八王子道の追分 旧道はやがて坂を下って環状1号線に合流する。
そして県道13号線を渡ったところで右に分岐する。
ここがわかりにくくてちょっと迷ったが、交番の裏の公園を突っ切るのが旧東海道らしい。
その道を20分ほど進んだところに八王子道との追分がある。
右に分岐する道が八王子道で、昨年11月に歩いた「絹の道」はここに至るわけだ。
(その時のブログはこちら)

洪福寺松原商店街 追分のすぐ先は洪福寺松原商店街。
昔のままの狭い道幅にせり出すように商品が並べられ、買い物客でごった返している。
現代では信じ難いような活気にあふれる商店街だ。
住むのなら高級マンション建ち並ぶ台町よりもこっちだな。
この繁盛の秘密をじっくり探ってもみたかったが残りの距離を考えるとゆっくりもしていられず、わずかに女房の兄貴がかりん糖を買っただけで通り過ぎた。

旧帷子橋の跡 1:20PM、交差する国道16号線沿いのロイヤルホストで昼食。
再スタートは2:30PM。
すぐに宿場の江戸側の端に設けられた江戸方見付跡があって、保土ヶ谷宿に入る。
帷子橋を渡り、天王町駅のガードをくぐったところにある公園に広重の絵にも描かれた有名な旧帷子橋の跡地がある。
地べたに板を渡して四隅に欄干らしきものを置いただけだ。
わが故郷高知のはりまや橋を思い出させるシロモノである。

保土ヶ谷宿問屋場跡 この時点で残り6km、時刻は2:45PM。
歩きながら話し合った結果今日はここから1km先の保土ヶ谷までということに。
結局前回と同じ7kmどまりだ。
こんなことならさっきの商店街もっとじっくり見とけば良かった。
軽く後悔しながら保土ヶ谷宿の問屋場跡で今日の旅を切り上げる。
保土ヶ谷駅のクリエでコーヒーを飲み、家路についた。