中山道<第24日>(木曽平沢駅)~奈良井2010年05月13日

奈良井宿
この後娘を背中に背負う新宿駅発車が8時ちょうどのあずさ2号ならぬスーパーあずさ5号を塩尻で各駅停車に乗り換えて11時9分に木曽平沢駅に到着。
2年ぶりに帰って来た中山道。
その間に女房の妊娠と出産。
そして今背中のベビーキャリー、macpacポッサムに1歳3ヶ月の娘を乗せて再び中山道を歩き出す。

間の宿平沢を奈良井方面へ娘にとって泊りがけの旅行は初めてなので、今回の中山道カムバックに関しては慎重な計画を立てた。
日程的には2泊3日が可能だが、宿の手配は1泊だけしておく。
ただし荷物と軍資金は2泊分を用意しておき、娘の様子を見ていけそうだったら2泊目の宿を手配する。
そういう段取りで、まずは奈良井方面へと歩き始めた。

歩き始めてすぐ、間(あい)の宿平沢を出たあたりで進むべき道を見失う。
奈良井川ガイドブックの地図と現実の位置関係とがうまくシンクロしない。
まだカンが戻っていないようだ。

「多分こちらが旧道だろう」という感じで墓地の前の小径を通って舗装路に出る。
八幡神社の杉並木初期の中山道が右に分離(途中で消失)するのを見て踏み切りを渡り、奈良井川の清流を見ながら奈良井川橋を渡る。
いよいよ名高い奈良井宿が近付いてきた。
ここで一刻も早く奈良井宿に入りたい気持ちを抑えて右手の八幡神社への坂を登る。
ここにはさっき分岐した初期中山道の杉並木が残されている。
規模は小さいが、往時の雰囲気をとどめていた。

奈良井宿さあ、いよいよ奈良井宿だ。
このわずか2km手前の平沢で中断してからの2年間、この日を待ち続けた。
山あいの秘境に往時の宿場町が忽然と姿を現す。
江戸のままの街並みが1kmに渡って続いている。
見渡す限り、道の続く限りに旧家屋が建ち並ぶその奥行きに圧倒される。
宿泊予定の「いかりや町田民宿」まで来たが時間がまだ早く、閉まっていたのでそのまま散策を続ける。

かなめや昼食で入った「かなめや」では囲炉裏を囲んで食べることもできる。
小さい子供がいる僕らはそこではなく座敷に席をとった。
店の奥にはカウンターもあるのだが、その端に置かれているオープンリールのテープデッキが僕の目を引いた。
いまどきそうそうお目にかかれないシロモノだ。
店主に聞くと別にコレクターとして収集したのではなく、昔から普通に持っている物だそうだ。
「この辺には物を大切にする文化があるんです」
そう言って慣れた手つきでテープをセットして再生を始めた。
現役なのだ。
その瞬間40年前の音源が甦った。
かかったのはR&B系の女性ボーカルもの。
音質はクリアではなく、回転ムラもあるようだが温かみがあり適度なコンプレッションが心地よい。
驚くべきことに今鳴っているスピーカーは自作だそうだ。
エレキピアノの老舗ブランド、ローズやオルガンで有名なハモンドの年代物も持っていて、休日には仲間と演奏を楽しむ。
秘境の音楽文化恐るべし。

いかりや町田民宿 いかりや町田民宿に戻ってチェックイン。
案内されて廊下を奥に行くのだが歩いても歩いても行き着かない。
狭い間口の何倍もの奥行きがある。
江戸時代には間口の広さによって大名行列に駆り出される人数が決められたのでこんな構造になったらしい。
この長い廊下で娘は大はしゃぎだ。

本陣跡宿に荷物を置いて身軽になって再び散策へ。
地図に「本陣跡」と印してあるあたりにそれらしきものが見当たらないのでちょうどすぐそばの観光案内で聞いてみると、本陣は江戸末期に焼失してしまったのだが、その時既に参勤交代の制度がなくなっていたので再建されなかったそうだ。
そういえばそんなことが『夜明け前』に書いてあったような気がする・・・・。
「そこをちょっと入ったところに本陣跡の棒が立っています」
言われるままに表通りと交差する横道を数10m歩くと「本陣跡」と書かれた古ぼけた白い棒が立っていた。
なんと、これだけ旧い家屋が見事に残っているこの宿場で本陣だけがこんな惨めな棒切れになっていたとは。

こでまり店内漆塗りのエレキギター長泉寺の見事な龍の天井画を見、外敵の侵入を防ぐために設けられた“鍵の手”という変形交差点を過ぎ、土産物屋をちょっとのぞいたところで宿場を離れて木曽の大橋を渡る。
渡った先のふれあい広場の芝生で娘を遊ばせてからまた宿場に戻り「こでまり」という喫茶店で夕刻の一時を過ごす。
壁に美しいペインティングのエレキギターが飾ってあるので女将さんに尋ねると、なんとこれは旦那さんが漆塗りしたものだそうだ。
この宿場、本当に素晴らしい!