中山道<第28日>上松~須原2010年05月22日

池の尻立場跡
旅館田政を出発8:40AM、旅館 田政を出発。
この旅館も奈良井で泊まったいかりや町田民宿と同じように間口に比べて奥行きが極端に長い構造だった。
廊下の壁には文久3年に諏訪明神主からもらった文書が貼ってある。

歩き始めてすぐの交差点を左折する坂道の壁面に“寝覚の床への道”と書いた案内板が見えた。
「有名な寝覚の床へはこの道が近道なんだ」
と軽く考えて左折せずに直進して10分ほど進んだところで間違いに気付く。
寝覚の床への道 この交差点は左折しなければならなかったらしい。
そこまで引き返してさっきの案内板を良く見ると上半分が雑草に覆われている。
その雑草の下に“旧中山道”の文字。
やられた。
このところ1日の歩き始めに道を間違うことが多い気がする。

尾張藩直轄上松材木役所跡付近気を取り直して坂を登る。
上松小学校の向かい側は尾張藩直轄上松材木役所跡。
尾張藩では木曽の山林を厳しく管理し、勝手に伐り出したりしようものならそれこそ本当に首が飛んだそうだ。
それでも、木材によって生活の糧を得る他ないこの地の実情に即して多少のお目こぼし的なものはあったらしい。
それが明治維新以後そのような配慮は一切なくなって、徳川時代よりも後退してしまったというようなことが『夜明け前』に書いてあったような気がする。

寝覚の床 坂は蛇行しながら一旦下った後また上って、右側に「たせや」と「越前屋」という2軒の茶屋が昔ながらの姿で並んでいる(現在は2軒とも宿泊施設として営業)。
この2軒の間の坂道を真っ直ぐ下って突き当たる臨川寺に200円の拝観料を払って境内に入る。
庭の「寝覚の床展望台」からはるか谷底の寝覚の床を見ることができる。
直角に侵食された花崗岩が連なる間をエメラルドグリーンの水が流れる奇勝である。
ここから現地まで降りることもできるのだが、時間と体力に余裕がないので休憩の後出発した。

駒ケ岳 旧中山道は左手に駒ケ岳を見ながらアップダウンを繰り返して国道19号線に合流する。
その直前で昨日に引き続いて民家の庭を通るところがあったのだが、これも遠慮して回り道した。
合流してすぐに小野の滝に着く。
ここはかつて細川幽斎(優れた戦国武将であり、極めて優れた教養人でもあった)も絶賛したほどの名瀑だったそうだが、現在では鉄道が真上を通ったため橋脚に挟まれ、何の迫力もない。

立町 次に国道を左にそれたところで道を間違え、線路脇の道なき道を辿って人気のない墓地に迷い込んだ。
途方に暮れているとちょうどそこにお墓参りに来た夫婦がいたので、ここが中山道ではないことを確かめて引き返した。
何とか正しいと思われる道を辿って一旦国道と合流し、すぐにまた左にそれる。
坂をくねくねと上って眼下の河川敷グラウンドの少年サッカー大会を見ながら坂を下る。
国道を横切ってかつて立場があったという立町を抜け、川沿いの道を通って国道に合流する。
その先の倉本駅で昼食にする。

倉本駅付近 寝覚めの床近くのコンビニで買ったおにぎりを頬張りながら携帯電話で明日の天気を調べると雨。
降水確率は90%。
本当は今晩須原でもう1泊するつもりだったが、幸い宿の予約はしていなかったので今日これから須原まで歩いて、東京に帰ることにした。
そうすると須原駅15時17分の列車には必ず乗りたい。
現在1:50PM。
倉本駅を後にした。

国道をそれた旧道 その先の旧道も国道と複雑に絡みながら須原方面に向かう。
途中、国道を左にそれて踏み切りのない所で線路を渡る箇所があった。
線路の手前まで言ってみたが、その先の道筋は草に覆われて判然としない。
娘を背負って進むには冒険が過ぎると判断してそのまま国道を歩いた。

次に国道を右にそれて坂を下ると池の尻立場跡に出る。
さっき通った立町もそうだったが、かつての休憩所である立場跡には独特の雰囲気があるようだ。

須原宿に入るこの後も旧道は国道を右に左にとそれるのだが、現在辿るのは困難なので素直に国道をひたすら歩く。
すると「須原宿」という看板が立っていて左にそれる道があるのだが、そこは通り過ぎて、その次の小さな路地に入る。
これが中山道である。
その路地がさっき国道を左にそれた道と合流した地点を今日のゴールとして須原駅に向かう。
すると中山道ではない筈のその道沿いに高札場跡や風情のある商店や、果ては一里塚跡まである。
胸の中に謎を抱え込んだまま予定の列車に乗り込んだ。