大多喜城2016年02月13日

大多喜城は千葉県大多喜町の小高い丘の上に建つ平山城。

戦国期には安房の里見氏重臣の正木氏が城主であったが、家康の関東入封に伴い本田忠勝が城主となる。

その後主を替えながら明治4年に廃城となった。



駐車場
車を駐車場に入れると、思いのほかたくさんの車が停まっている。

駐車場の出入り口には土産物屋が軒を連ねている。

今回女房の兄貴から聞くまでは名前も知らなかった大多喜城だが、地元ではそれなりに有名な観光地らしい。



空堀跡
ここに向かう車の中からちらちら見えていた天守に向かって車道を歩いていると右側に空堀の跡が。

かなり大きい。

崩落した崖のようにも見える。



さらに上ると右側に「大多喜城二之丸公園」がある。

公園と言ってもちょっとしたスペースに東屋があるくらいだ。

堀切跡
しかし堀切の跡らしき物はしっかりある。

さらに細い階段を上るとそこにも小スペースがあり、現在そこには梵鐘があるのだが、往時は物見櫓でも建っていたのではないだろうか。



さていよいよ本丸だ。

模擬天守
白亜の大天守は目の前だ。

土塁跡
しかし我々お城ファンはそんな歴史的根拠の怪しい模擬建築よりも反対側の土塁に着目する。

天守の向かいにこんもりとした土盛りがわずかに残っている。



塀
その先には白漆喰の塀がめぐらされているが、これは後世の物だろう。

紛らわしいのではっきりと説明しておいてほしい。



大多喜高校
本丸の下は大多喜高校。

金属バットが硬式ボールを打つ音がここまでひっきりなしに聞こえてくる。

あそこもお城だったことは容易に想像できる。



千葉県立中央博物館大多喜城分館という名の模擬天守に入る。

入場料は一般200円。

定番の三つ折りパンフをもらう。

ここでの最大の関心事はこのパンフに縄張り図が載っているかどうかだ。

開いて見ると、あった。

あったけれども余りにも小さい。

江戸時代に描かれた「大多喜城地絵図」が載っているのだが、5~6cmの大きさで印刷されていて内容が読み取れない。

がっかりだ。



気を取り直しながら館内の展示を見ていると、城の縄張りと現在の地図を重ね合わせた図面が掲示されていた。

さっきの高校が二の丸に当たることなどが良くわかる。

しかしこの紙を片手に実際の城の現況を見て回れたらどんなに面白いか。

なんでこれを配らない。

こういうところは往々にして観光客のニーズには応えても、城ファンのニーズには鈍感なようだ。



遺構残存度2模擬天守で減点
歴史的重要度3家康の重臣・本田忠勝の城
景観2これも模擬天守で減点
案内充実度3立派な博物館の残念なパンフ