高遠城2016年12月17日

カーナビの指示に従って急な坂道を上って行くと右手に広大な空き地が現れる。

勘助曲輪
これが駐車場で、往時の勘助曲輪だ。

広過ぎてどこに停めたものかと迷いながらとにかく駐車場の隅っこに車を停めて歩き始める。



大手門跡
もと来た道を少し戻るとそこに大手門跡の石碑が建っている。

城下を見下ろすロケーションだ。

枡形跡か
斜め向かいの民家の前に不自然に突き出た石垣は枡形の跡かも知れない。



藩校進徳館
駐車場の向かいの三の丸には藩校進徳館がある。

幕末に建てられた茅葺の建物が残っている。

藩校の遺構というのは初めて見たかも知れない。

駕籠が直接乗りつけられそうな玄関には格式が感じられる。



二の丸
二の丸には桜の木が所狭しと植えられている。

現在高遠城は桜の名所として有名である。

シーズンともなればあの広い駐車場が一杯になるのだろう。

空堀
それでも二の丸を囲む空堀には城跡らしい野ざらし感が残っている。



高遠城は武田信玄によって築かれた。

信玄の死後、織田信長軍の猛攻によって落城する。

しかし織田軍5万3000に対して城主・仁科盛信(武田勝頼の弟)以下3000が果敢に迎え撃ってほぼ全滅したという壮絶な落城は、裏切り・逃亡が相次いで自壊した武田家にあって唯一武門の意地を見せた戦いだった。

今この静かでのどかな城跡でその凄惨な落城絵図を想像するのは困難だ。



ところで仁科盛信は女優の仁科明子のご先祖だそうだ。

そういえば以前みた『茶々 天涯の貴妃』という映画では元夫の松方弘樹が織田信長を演じていた。

つまり松方は自分の元女房のご先祖を攻めていたわけだ。

まさか演じながら

「この時根絶やしにしておけば・・・」

なんて考えていたり・・・するわけないか。



遺構残存度3学校や桜で改変
歴史的重要度4武田家滅亡間際の最後の意地
景観4城下の眺め
案内充実度3もう少しこまめにあるとありがたい




お城のすぐ南に建つ伊那市立高遠町歴史博物館に大人400円を払って入場すると「絵島囲み屋敷」という物を見ることができる。

絵島とは江戸中期の大奥の最高位にあたる大年寄であった女中。

役者・生島新五郎との恋愛スキャンダルで失脚してここ高遠に流罪となる。

奥女中は上様(将軍)以外との恋愛はタブーなのだ。

まるでAKBだ。

絵島囲み屋敷
その絵島が高遠で暮らした屋敷がここに復元されているのだ。

パンフレットの説明には「牢獄のような囲み屋敷」とあるが、現代の東京で暮らす僕の感覚では立派な一戸建て住宅だ。

こんな屋敷で暮らしてみたいとまで思ってしまった。

上原城2016年12月18日

かつてせっせと特急あずさで中山道歩きに通っていた頃、あずさの車窓から見える「上原城跡」という看板がずっと気になっていた。

今日はその上原城にやって来た。



上原城入り口
薄暗い山の中腹にある案内板の脇から城内に進む。

駐車場には軽トラックを中心に何台もの車が停まっている。

左側は堀の跡とも見える崖になっている細い通路を進むとわいわいと人の声が聞こえてくる。

三の郭跡
右にカーブするとそこは金比羅神社になっていて氏子の皆さんが掃除をしていた。

ここはかつての三の郭だ。



二の郭跡
神社の裏手に回るとそこが二の郭で巨大な物見岩がある。



主郭跡
さらにその背後の斜面をのぼると以外に広い削平地に出る。

ここが主郭だ。



上原城は名門・諏訪氏が武田信玄に滅ぼされるまで本拠とした城だが、それにしてはちょっと小ぶりな印象だ。



諏訪氏館跡
車で山を下るとふもとに諏訪氏館跡があった。

ふもとの居館と山上の詰めの城。

なるほど典型的な中世の山城の構造だ。



遺構残存度3中世の山城を今に伝える
歴史的重要度3諏訪氏の本拠
景観4三の郭からの諏訪地方の眺め
案内充実度3お城へのアクセスがわかりにくい

忘年会ライブ2016年12月23日

先日の12月10日土曜日に東洋大学軽音楽部FreewayのOBが集まる忘年会ライブが、武蔵小金井SOLIDでありました。

僕も一人で演奏しました。

その時の動画です。