瀧坂道2017年01月04日

このところ我が家の初詣は都内の旧道を歩いて古刹を訪ねるのが恒例となっている。

今回は渋谷道玄坂と甲州街道を結ぶ「瀧坂道」を歩いて豪徳寺を目指す。



渋谷駅前
まずは渋谷駅のハチ公前に降り立つ。

目の前には渋谷109ビル。

完全に10~20代女性向けのファッションビルとなっている現在では想像できないだろうが、僕がスポーツ用品関係の仕事をしていた30年前はこのビルに野球メインのスポーツ用品店が入っていた。

恐らくは元々この地でスポーツ用品店を営んでいた地主がそのままビルに入ったのだろう。

ビルのティーンズファッション化が進むに従ってミスマッチも深刻化し、遂に倒産。

その時僕も商品を引き上げに行ったのだが、この経験が後に『手形が落ちない』という曲の元になった。



道玄坂
道玄坂を登りきると道玄坂の由来を書いた石碑と標柱が建っている。

そんな物に目を止める人など誰もいないが、それによると北条に滅ぼされた渋谷氏の一族の大和田道玄がこの地に道玄庵という庵を営んだのが始まりだそうだ。

瀧坂道入り口
右側の交番と、渋谷にしてはオシャレ度の乏しい床屋の間の細い道が瀧坂道だ。

神泉へ
すぐに静かな住宅街となって湾曲しながら一気に高度を下げる。

狭い道だが交通量は多い。

下り切った辺りが円山町で、東京電力OLが殺されたアパートはこのすぐ近くだった。

円山町
ここはかつて花街だったのが宅地化し、その生活圏をラブホテル群が侵食するといういびつな構造の街となっている。

ここで現代の怪談のような事件が起こった訳だ。



淡島通り
その後小さなアップダウンを繰り返しながら山手通りを超えて現代の淡島通りとなる。

三宿神社
さらに進むと左手に室町時代の多聞寺砦の跡があるというので行ってみたが、緑地公園と三宿神社があるだけで遺構らしき物はなかった。



右が瀧坂道
瀧坂道が淡島通りを右にそれるとすぐに環七に突き当たる。

その手前右のガストで昼食にする。



昼食後瀧坂道に戻る。

くねくねと進む瀧坂道
道は閑静な住宅街をくねくねと進む。

交差する何でもない路地に鎌倉街道の伝承があったりする。

世田谷城跡に寄り道して豪徳寺に入った。



豪徳寺
豪徳寺は井伊家の菩提寺である。

境内には桜田門外に斃れた井伊直弼の墓もある。

そのお墓の場所はわかりやすく案内されていた。



今年の大河ドラマは井伊直虎という人らしいが、それに関する物は境内には一切見当たらなかった。

真面目な寺だ。

世田谷城2017年01月04日

初詣に豪徳寺へと行く途中、寺の南に回って世田谷城址公園に向かう。

土塁の跡か
途中私有地に土塁らしき土の盛り上がりが見られた。



そこからさらに進むと住宅地に忽然と小山のような公園が現れる。

ここが城址公園で、ダイヤモンド型と推定される城域の南の角にあたる。



曲輪跡
小山に登るとその上に削平地があって一応ここが曲輪だったであろうことは見てとれる。

堀跡
堀や土塁の跡らしき物も見られる。

しかし公園として整備された分、遺構なのか後世に改変された地形なのか判断がつきにくい。

私有地の遺構
むしろ金網で仕切られた私有地の方が野ざらしな分だけ面白い物がありそうに思えた。



この公園の辺りはいわゆる“詰の城”で、豪徳寺がかつての屋敷跡らしい。

豪徳寺の土塁の跡
そこで豪徳寺に行って見ると確かに土塁の跡らしき物が見られた。



世田谷城は清和源氏・足利氏の一族である吉良氏の居城。

15世紀後半には太田道灌と同盟関係を結び、武蔵国の中心勢力として栄える。

その後小田原北条氏と縁戚関係を持つが、天正18年(1590)の秀吉の小田原征伐による北条氏滅亡に伴い吉良氏は上総国生実(現千葉市)に逃れ、世田谷城は廃城となった。



遺構残存度2私有地が見られれば
歴史的重要度2実戦経験はなし
景観2住宅地の憩いの公園
案内充実度2現地案内板の分はわかり易い