大田原城2017年04月16日

花見とドライブを兼ねて東北自動車道を栃木県大田原市の大田原城に向かう。

車はレンタカーのダイハツMOVE。

同じダイハツの軽自動車TANTOよりも車高が低く、フォルムも流線型に近いのでこちらの方が高速道路は走りやすい印象を持った。



矢板インターで高速を下り、目的地の大田原城とは目と鼻の先まで来たところで通行止め。

今日は地元のお祭りで、通行止めの先を大きな山車が通っている。

係員の指示に従って近くの大田原小学校の運動場に車を停めてお城まで歩いてアプローチする。

大田原城
5分ほどで突き当たる小高い山が大田原城だ。

桜は満開。



三日月堀
城に入るとすぐに明らかな土塁と三日月堀が迎えてくれる。

門の跡らしき土の盛り上がりもある。

少し登ったところに説明版があり、その中の縄張り図をiphoneで撮っておく。

これはその後非常に役に立った。



その縄張り図を見ながら二の丸へ。

二の丸跡
長屋と弾薬庫が建っていたスペースに現在では戦没者の慰霊碑と地元の偉人のモニュメントが並び建っている。



空堀をめがね橋で渡って本丸へ。

本丸跡
娘の通う区立小学校の校庭よりもはるかに広いスペースの外周を土塁が取り囲んでいる。

まずはその土塁の上を歩いて見る。

本丸土塁上からの眺望
平山城の斜面の桜、大田原市街、遠くの雪を冠った山並みまでが見られて中々の眺望だ。



4分の3ほど回ったところで土塁を下りて本丸にレジャーシートを敷いて花見らしきことを始めてみる。

本丸跡の桜
ここは地元では定番のお花見スポットということなのだが、今日はお祭りの方に人が出払ったのか人出は少ない。

売店の類もない。

それを当てにして飲食物を何も持って来なかった僕らはただ座ってひたすら桜をめでる。

娘はずーっとゲームをやっていた。



お花見を切り上げて立ち上がる。

一旦本丸を出て、本丸の東側の土塁の外に設えられた遊歩道を北に向かう。

蛇尾川
右側の藪の隙間から蛇尾川が見える。

これが実質的な外堀だろう。



遊歩道は土塁の上を通り、北曲輪に入る。

北曲輪跡
ここは現在児童遊園のようになっており、うんていとブランコがある。

娘は早速ブランコをこぎ始めた。



iphoneで縄張り図を見ると北曲輪のさらに北に連続してもう一つ北曲輪がある。

これも北曲輪跡か
土塁の外に広がる農地がその跡らしい。

その農地の先を通る道路は堀の跡と思われる。

その道路の上を陸橋で渡って向かい側の大田原神社に行ってみた。

ここも何かの遺構ではないかと思ったが、それらしい物は確認できなかった。



大田原城は天文14年(1545)、大田原資清によって築かれた。

以来明治4年(1871)の廃藩置県までの326年間、一貫して大田原氏の居城であった。

戦国期から明治維新まで城主が変わらなかった城は他にもあるのだろうか?

今ちょっと思いつかない。



遺構残存度4小さな山の堀・土塁・曲輪
歴史的重要度3大田原氏326年の城
景観4本丸土塁上からの眺めと桜
案内充実度3石版に彫った文字が読みにくい

松本城2017年04月26日

車を松本城より南のパルコの有料駐車場に入れ、北に向かって歩き始める。

女鳥羽川
10分足らずで江戸期から明治にかけて舟運が盛んだった女鳥羽川に突き当たるので、橋を渡らずに河沿いを東に向かう。

大手枡形跡
最初に出会う千歳橋を渡った所が松本城の大手門の跡で、枡形の跡が現在の車道にもはっきりと残っている。



ここからが城内で、往時は武家屋敷が並んでいたが現在ではビルが建ち並んでいる。

大名町通りを真っ直ぐに北へ進む。

大名町通りからの景観
途中交差点を渡る時に左を見ると遠くの雪を冠った山々が見えたりする。



松本城入り口
すぐに城の入り口に突き当たり、国内外からの観光客がぞろぞろとそこから入ってゆく。

しかし上級者はこんな所から入ったりしない。

なぜなら往時ここに入り口など無かったからだ。

太鼓門
湧き水を湛える外堀に沿って右側にぐるりと回って平成に復元された太鼓門から二の丸に入った。



二の丸御殿跡
入って右が二の丸御殿跡。

左に進むと内堀の向こうに天守が見えてくる。

松本城天守
黒を基調とした現存天守の圧倒的な存在感。

彼方には雪の残る北アルプス。

素晴らしい。



天守そっちのけで砂利を集めて遊んでいる娘を引っ張って土橋を渡り、昭和期に復元された黒門から本丸に入る。

黒門枡形
枡形では兜武者が道案内をしたり、記念撮影に応じたりしている。

特に外国人に人気だ。



本丸
だだっ広い本丸を天守に向かって歩く。

松本城の天守は、中央の大天守、向かって右の乾小天守、左の辰巳附櫓と月見櫓が連なる大変珍しいスタイルとなっている。

元々この地には小笠原氏の深志城があった。

それを武田信玄が大規模に改修し、武田氏滅亡後にカムバックした小笠原氏が松本城に改称。

豊臣の世になって入封した石川氏が現在の大天守と乾小天守を築造。

さらに、寛永10年(1633)に入封した松平氏が辰巳附櫓と月見櫓を増築した。

この時大阪の陣からほぼ20年。

月見櫓の紅い回縁は平和な時代の象徴にも思える。



天守内部
天守内部に入ってみる。

埋橋
大天守の窓から朱塗りの埋橋が見える。

元々あった橋の構造がわからないので想像で復元(?)されたらしい。



月見櫓
さらに上の階からは月見櫓が見える。

やはりこの優美さと華やかさは城としては異質である。



最上階からの眺望
さらに、急な階段を這いつくばるようにして最上階まで上ると素晴らしい眺望を堪能できる。

ただし、かなり寒い。

表の気温は15℃ほどあるのだが、天守内部は陽が当らない上に風が良く通る。

板敷きの床の冷たさが時間を追うごとに足の裏にこたえてくる。

早々に下りることにした。



本丸を出て二の丸を西へ向かう。

右手に天守。

二の丸公園から見た天守
どこから見ても絵になる。

絵にならざるを得ない。

本当に素晴らしい城だ。

国宝も当然。



二の丸の西南角から外の通りに出る。

武家屋敷発掘調査現場
するとそこでは発掘調査が行われていた。

三の丸の武家屋敷の遺跡だそうだ。

これは発掘調査が終わると遺構として残されるのだろうか?

それともこの上に何か建物が建つのだろうか?



西総堀土塁公園
この道を南に下ってゆくと右手に西総堀土塁公園がある。

市街地の中にかつての土塁の痕跡が残されている。

しかし植え込みなどが整然とし過ぎているせいか遺構という雰囲気は乏しい。

消滅した遺構の上に造成した宇都宮城の土塁と区別がつかない。

これはもったいない保存のし方かも知れないと考えながらパルコの駐車場へと向かった。



遺構残存度5圧倒的な現存天守の存在感
歴史的重要度3松本城としての実戦経験はなし
景観5北アルプスを借景とする天守
案内充実度4過不足なし