『正妻 慶喜と美賀子』林真理子[著]講談社2014年09月29日

13代家定の正室・天璋院、14代家茂の正室・和宮に比べると歴史的な存在感がまるで乏しい15代慶喜の正室・美賀子。
そんな美賀子を主人公に小説が成り立つものだろうかといぶかしがりながら読み始めたが、書き手は名うての手だれ林真理子、初めから最後までぐいぐい読ませる。

それは美賀子の目を通して徳川慶喜という特異なキャラクターを描くという体裁をとったことが大きかった。
極めて明晰な頭脳を持ちながら、他人の気持ちを推し量る能力を著しく欠いた慶喜の突拍子も無い言動が美賀子と読者を呆れさせる。
これが大層面白い。

中だるみしそうな中盤には、美賀子に代わって火消しの棟梁・新門辰五郎の娘・お芳を登場させる。
公家出身の美賀子とは対照的なお侠な町娘は格好のアクセントになっている。

2度ほど登場する天璋院の存在感は圧倒的だ。
傾いた幕府を立て直すために全力を尽くすことを有無を言わせぬ威圧感で要求する。
しかし美賀子は、出身の薩摩からは最早邪魔者扱いの天璋院には大奥の他には行くあてもなく、婚家に尽くして幕府を守ろうとする彼女が実は現在の地位にしがみつこうとする惨めな中年女であると喝破する。
これは卓見だ。

『一路』浅田次郎[著](中央公論新社)2014年08月02日

参勤交代の責任者である供頭を勤める父親の急死でいきなり参勤道中の全てを差配しなくてはならなくなった18歳の若侍。
小説家というものは面白いことを考え付くものだ。
美濃の田名部という架空の藩から江戸への参勤道中の大冒険に、お家騒動なども絡めて一気に読ませる。
ユーモアもたっぷりだ。
またほとんどが僕自身が実際に歩いた中山道が舞台なので、その点でも実に興味深く読めた。
ただ江戸期の倫理観を強調し過ぎるのが後半に進むにつれてやや鼻に付くきらいはある。

『家(上・下)』島崎藤村[著](新潮文庫)2014年05月22日

藤村の分身である三吉の実家と姉の婚家、この二つの旧家が零落してゆく過程を冷徹に描いた小説。
陰々滅々たる内容が藤村の読みづらい文章でつづられる。
特に幼い女の子が3人も立て続けに死ぬのは、事実だから仕方がないのだが読んでいて気が滅入る。
それでも読み終わるとさすがにずっしりとした感銘を受ける。
この小説は『夜明け前』の続編としても読めるので、作中の時間にして50年分の重みもある。
もう少し面白く書いてくれると助かるのだけれど。

館林城2014年04月27日

館林城
土塁の跡? 館林駅で「まちなか散策ガイド」という冊子をもらって古い井戸や造り酒屋などをめぐりながらお城を目指して西へ歩く。
途中本紺屋町の公園で明らかに土塁の跡と思われる土の盛り上がりがあったが、特に説明は無かった。

枡形の跡? さらにその先、散策ガイドの地図ではかつて土塁があった所を通過する時には道が鉤方に折れ曲がっていて桝形の跡を思わせる。

土橋門 鷹匠町に移築・復元された武家屋敷を休憩がてら見学し、国道7号線を渡ると見えてくる土塁に沿って北に回ると復元された土橋門が現れる。
これを潜って三の丸に入る。
特に整備されていない原っぱだ。
その隣の文化会館までが三の丸で、区役所とその西の広大な空き地が二の丸。

本丸の土塁 そしてさらにその先にそびえる向井千秋記念子ども科学館が本丸跡である。
建物の背後を見るとかなり大きな土塁が残っている。
その上に登ると南側に広がる原っぱが南郭だ。
その原っぱの木陰にレジャーシートを敷いて昼食。

向井千秋子ども科学館 土塁の向こうに科学館のSFチックな建物が見える。
子どもたちに科学への興味を持ってもらいたいという趣旨はわかるが、それは史跡を破壊してまでやるべきことだろうか?
昼食後に子どもを連れて入ってみると展示内容はそれなりに面白かっただけにもっと違う場所に建ててくれればと思わすにはいられなかった。

三の丸 館林城は徳川5代将軍綱吉を輩出した城として知られている。
この綱吉、僕の知る限り徳川15代で最も困ったちゃんな将軍だ。
生類哀れみの令は言うに及ばす、家臣の妻を手篭めにするなどセクハラ、パワハラやり放題だ。
それを自覚してか、館林に綱吉関係の史跡案内は知名度に比して少なかったようだ。

遺構残存度2市役所・文化会館・科学館で減点
歴史的重要度3綱吉輩出の迷惑な城
景観3のどかな原っぱ
案内充実度2散策マップあるも現地案内が少ない

『夏草冬濤』井上靖[著](新潮文庫)2014年03月20日

『しろばんば』の続編。
これも実家の本棚から持って来た。

繊細で思慮深い小学生だった洪作少年が、粗野で浅はかな中学生として我々の前に現れて困惑する。

『しろばんば』では洪作少年の目を通して描かれる大人の複雑な人間関係と、伊豆の四季のなかでの人々の営みの描写が文学的なレベルを大いに上げていたのだが、こちらで描かれるのはほとんどが洪作の軽率な行動が引き起こす小事件ばかりで、前作にあった詩情や感動といったものはほとんど失われている。

後半になって1学年上の不良がかった文学少年達と交わるようになる。
個性的で才気走った彼らに触れて洪作はほとんど初めて文学というものの存在を知る。
そして彼らと旅に出た洪作が文学的な何かの存在を直観するところで小説は終わる。
ここの描写には迫力があり、だらだらといった感じで続いた小説ではあったが、読後感は思いのほか明るいものだった。