中山道<第32日>馬籠~落合~中津川2010年09月20日

新茶屋
大黒屋 10:00AM前に馬籠茶屋を出て馬籠宿を散策。
馬籠脇本陣史料館を見学し、喫茶店併設の土産物屋・大黒屋へ寄ってみる。
『夜明け前』では“伏見屋”として登場する重要な家。
ここはかつて酒造業で財を成した家で、小説にも描写のある杉玉が今でもぶら下がっていた。

藤村記念館 その後女房子供と別行動をとって一人藤村記念館へ。
ここは島崎藤村の生家(つまり馬籠宿本陣)跡でもある。
本陣はあらかた焼失しており、記念館の建物は敷地の脇のほうに控えめに配置されている。
従って母屋のあったあたりは何もない空間となっているのだが、思いの外狭く感じた。
建物の建ってない土地は狭く感じるものなのだろう。

永昌寺 裏庭からは昨日訪れた永昌寺が見える。
青山半蔵はここから火を放ちに向かった訳だ。

展示品の中では7歳で亡くなった藤村の娘の写真が眼に焼き付いている。
亡くなる直前の撮影らしいが、ベッドに横たわって賢そうな顔だけをこちらに向けた少女。
その表情は既に全てを諦めたかのように虚ろである。
父・藤村はどんな気持ちでこの写真を撮ったのだろう。
一人の父親として胸が痛む。

記念館を出て女房子供の待つ土産物屋へと向かう。
母親と片手をつないだ1歳7ヶ月の娘が、僕を見つけて飛び跳ねて喜んでいる。

馬籠宿 馬籠宿は木曽の山から美濃の平野に下りて行く斜面に位置する。
宿場全体が坂になっているので、家並みの間を下ってゆく街道の彼方に山々がそびえるという、他の宿場ではなかなか拝めないような景観が楽しめる。
たび重なる大火で旧い建物はほとんど残っていないのだが、宿内の家屋の外観は日本風に統一されていて往時を充分に偲ぶことができる。
思わず寄ってみたくなるいい感じの喫茶店もたくさんある。

馬籠宿を出た中山道 11:30AM、宿場の出口あたりのスーパーで昼食のお握りを買い、娘をmacpacポッサムに背負って今日の旅をスタートする。

いきなり田園風景が広がる。
左手彼方には恵那山。
宿場に溢れていた観光客も消え失せてロケーションが一変した旧道を気分良く歩く。

子規の句碑からの眺め 20分程歩くと、それまでちらちらとのぞいていた美濃方面の視界が一気に開ける。
素晴らしい眺めだ。
ここには正岡子規の句碑があり、すぐ脇にはあずまやが建ち、ご丁寧にごみ箱まである。
昼食には絶好のポイントだ。
ところが娘はポッサムで熟睡している。
仕方なく休憩だけして再出発した。

新茶屋と一里塚 緩やかなアップダウンを繰り返してかつて立場茶屋があった新茶屋に達する。
現在では旧い家屋の民宿が一軒あって、そこの子供がおばあちゃんの畑仕事を手伝っている。
妻籠を出てからここまで、宿場の外にもこういった民宿が何軒もあった。
ネット上の情報には存在しなかった宿だ。
どんな人が泊まるのだろう。

ここには一里塚があり、『夜明け前』に製作の場面があった芭蕉の句碑があり、その作者藤村の揮毫による「是より北 木曽路」の碑もある。
つまりここで木曽路ともお別れだ。

十曲峠の石畳 美濃に入るとすぐに石畳の下り坂となる。
新茶屋のあたりが十曲峠の最高地点だったらしい。
峠といってもここまでほとんど上りの意識がなかったのだが、下りは結構急なので京都側から来る人にはかなりきつい峠だろう。

落合宿本陣跡 鬱蒼とした樹木に覆われて昼なお薄暗い石畳をジグザグに下り、舗装道路と合流して落合川を渡ると落合宿に入る。
静かな田舎の住宅街だ。
現在公開中の映画『十三人の刺客』で話題になっているクライマックスのど派手な乱闘シーンの舞台はここ落合らしいが、そのギャップが笑いを誘うほどの静けさだ。
本陣跡のちょっと先の公園で昼食。

与坂立場跡からの眺め 旧中山道は国道19号線と2度交差して、坂を登る。
この坂はまるで等高線を垂直に突っ切るような急勾配だ。
なぜこのような道の付け方をしたのだろう。
息を切らせて登りきると稲穂と防風林が風に揺れる高原のような場所だ。
ここは立場跡でもある。

そこからは延々と坂を下りに下って中津川宿に至る。

中津川宿 往時には東美濃の実質的な玄関口として栄えた中津川も今では見るも無残な商店街だ。
商店街とはいっても実際に営業している店舗はぽつりぽつりという感じで、3連休の最終日だというのに人通りがまるでない。
ガランとした通りに響くBGMがうらぶれ感を一層あおる。
NHKよ、これが「歩くことで見えてくる“にっぽん”」だ。

『夜明け前』では馬籠の主人公が、人や情報が集まる中津川の友人達を羨むことになっているが、現在では完全に逆転している。
鉄道や道路という交通網の整備された地方都市がさびれ、その交通網から外れた山村が観光地として栄えている。
“開発”とは一体何だったのか。
妻籠・馬籠の活況と中津川の惨状の残酷なまでのコントラストはそのことを我々に考えさせずにはおかない。

中山道茶屋_縹 四ツ目川橋を渡ったところで今回の旅を終了とし、この商店街では例外的に新しい店舗の“中山道茶屋 縹”でコーヒーを飲み、これまた例外的にお客の入っている栗きんとんの老舗“すや”でお土産を買って中津川駅へ。
5:01PMの快速で名古屋まで行き、名古屋で6:30PMの新幹線のぞみ44号に乗り換えて東京へ。

中山道<第31日>妻籠~馬籠2010年09月19日

馬籠峠越えの石畳
妻籠宿僕らの中山道の旅はついに東海道新幹線を使って名古屋回りでのアクセスとなった。
6:16AM東京発ののぞみに乗り込み、名古屋で8:17AMのナイスホリデー木曽路という休日のみ運行の快速に乗り換えれば南木曽に9:51AMに到着。
そこで10:10AMのバスに乗れば何と10:17AMに妻籠に到着だ。
5月にスーパーあずさと普通列車を乗り継いで、塩尻回りで木曽路に通っていた時は昼頃にスタート地点に着いてたことを思うと、やはり新幹線という乗り物の凄さを実感する。

妻籠宿脇本陣さて3連休の中日ということもあって今日も妻籠は観光客でごった返している。
そんな中、平成7年再建の本陣(島崎藤村の母親の実家でもある)と、明治13年築の脇本陣を見学。
どちらも囲炉裏に火を炊いて建物を内部から燻しているのが印象的だった。
その煤を硬く絞った雑巾で拭き取ることを永年続けることで黒光りする艶が生まれるのだ。
脇本陣のガイドから聞いて知った。

妻籠宿本陣隣の公衆トイレで娘のオムツを替えた後、宿場内の商店でパンを買い、無料休憩所で昼食。
そして3ヶ月振りに娘をベビーキャリー、macpacポッサムに乗せて背負う。
この3ヶ月で体重は10kgを越えただけあって肩にズシリとのしかかる。
今日はこれで馬籠峠を越えるのだ。
まずは妻籠宿観光案内所で「完歩証明書」という物をもらう。
妻籠宿のスタンプが押してあるこの証明書を次の馬籠宿の観光案内所に持って行って、そこで馬籠宿のスタンプを押せば妻籠・馬籠間を完歩した証明になるらしい。
この証明書は紙のように薄くすいた木(多分檜)でできている。

大妻籠12:55PM、地域住民不断の努力の結晶である美しい宿場を出る。
道は細かなアップダウンを繰り返し、大妻籠に至る。
見事な卯建の上がる民宿などが建ち並ぶ風情ある小集落だ。
この辺りでは馬籠方面から歩いて来た人達とひっきりなしにすれ違う。
西洋人も多い。

馬籠峠への道大妻籠を出て県道を横切ると本格的な峠越えの道が始まる。
ハイカーのために整備された石畳の道がジグザグに坂を登ってゆく。
途中田園の脇を通る僕好みの土道もある。
勾配は大したことないのだが、成長した娘の重みがかなりこたえる。
特に膝と同じくらいの高さの段差を登る時、膝の上の部分に大きな負担がかかり、何度も繰り返すうちにそこの筋肉が今にも痙攣しそうな感じになって来た。

一石栃立場茶屋跡かつて7軒ほどの茶屋が軒を並べていた一石栃立場茶屋跡を通りかかった時、そこに1軒だけ残る休憩所のおじさんが「休んでいかねェか」と声をかけてくれたので、お言葉に甘え、お茶と飴をご馳走になった。
おじさんによれば峠まであと15分。

馬籠峠名所の男滝女滝までちょっとの回り道をする余裕もなく、こまめに休んで膝の上の筋肉を伸ばしながら石畳を登り、再び県道と交差したところが馬籠峠だ。
峠の茶屋のベンチで一休み。
ここは長野と岐阜の県境でもある。
2007年7月7日に小雨の碓氷峠を越えて以来ずっと歩いて来た長野県ともこれでお別れだ。
長野に入った時は2人だったのに、出る時は3人になっている。
人生の不思議。

長野県は終わっても木曽路は今しばらく続く。

峠集落 岐阜県に入るとすぐに県道をそれて旧道の下り坂に入る。
こちらは石畳ではなく桜が散ったような図柄で舗装してある。
ほどなくかつて間の宿であった峠集落に着く。
急坂に沿って旧い民家が軒を連ねる。
ここはかつて貨物を運搬する“牛方”が多く住んでいたのだが、安政3年に中津川の問屋との間で運賃配分に関する争いがあったことは藤村の『夜明け前』でも、変革の息吹の象徴として詳しく描かれている。

この頃から前方の視界が開け始め、時折美濃方面の平野も見えてくる。

陣場 馬籠まであとわずかというところで、もうないだろうと思っていた登り坂に差し掛かる。
限界に近い足を引きずりながら登りきると一気に視界が開け、そのまま宿場の入口に当たる陣場に着く。
昔徳川方の武将が陣を布いたことからその名が付いたそうだが、今ではちょっとした展望台になっており、恵那山、美濃平野が一望できる。
これまでの木曽路ではまずおがめなかった眺めである。

馬籠宿4:30PM、馬籠宿に入る。
ここも妻籠に負けず劣らず観光客で溢れている。
とりあえず観光案内所で完歩証明のスタンプを押してもらい、今夜の宿、馬籠茶屋にチェックインする。
夕食までの時間を利用して宿場の裏山にある永昌寺へ。
ここは『夜明け前』に万福寺の名で登場する。
物語の最終盤で精神に異常を来たした主人公青山半蔵が火をかけようとするのがこの寺だ。
しかし境内にそのことに関する説明の類は一切ない。
ただ半蔵のモデル島崎正樹(藤村の父)と藤村の墓への案内があるのみであった。

夕暮れの馬籠宿を散歩して馬籠茶屋へ。

中山道<第30日>(十二兼駅)~三留野~妻籠2010年05月29日

妻籠宿
さらしなや裏の木曽川 6:00AM、木曽福島の「旅館さらしなや」で目覚める。
窓の外を木曽川が流れる。
昭和2年築のこの旅館、かつては木曽川べりに月見露天風呂があったのだが、近年の大雨で建物ごと流されてしまったそうだ。
木曽川は現代でも暴れ川であることをやめた訳ではないらしい。

このトンネルをくぐる 木曽福島駅9:04AMの各駅停車に乗って今日のスタート地点十二兼駅へ。
10:00AM、まずは駅前の線路沿いの道を今日進む方向とは反対方向へ歩き始める。
これはきのう、あるはずの踏切がなかったためアクセスできなかった旧道を歩くためだ。
旧道らしくくねった道を歩いてきのう渡れなかったポイントあたりにさしかかろうとした時、道の脇で畑仕事をしていたおじさんが、
「中山道?だったらそこのトンネルをくぐれば向こう側に行けるよ」
と教えてくれた。
するとそこに用水路のためのトンネルがあり、仮設の歩道が付けられている。
そのトンネルをくぐると何ときのう旧道が国道と交差した地点に出て来れた。
きのうは全く気付かなかった。
地図上では踏切にしか見えなかったが、実はこのトンネルをくぐれということだったらしい。

羅天の桟道のあたり 今来た道を引き返して十二兼駅前まで戻り、改めて三留野方面へ歩きだす。
道の右脇はエメラルドグリーンの水面妖しい木曽川だ。
“寝覚の床”を思い出すような方形の奇岩がゴロゴロしている。
やがて国道19号線と合流する。
かつてこの辺りは木曽川の断崖絶壁にへばりつくように歩いた“羅天の桟道”という木曽屈指の難所だったそうだが、現在では国道に設けられた歩道を難なく歩ける。
この歩道は地上よりも川側に張り出しているので、江戸時代であれば空中を歩いているということになる訳だ。
そしてその分木曽川を存分に眺めながら歩くことができる。
かつて上州の松井田宿へ向かう国道を、左前方の妙義山を眺めながら気分良く歩いたことを思い出した。

途中「与川入口」という交差点で左にそれる道が中山道の脇道にあたる与川道で、月の名所で知られる与川集落を通って三留野に至る。
木曽川沿いの難所を避けるために設けられた道らしい。

与川道 その交差点から500m程先で旧中山道は国道19号線から左に分岐して坂を登る。
木曽川ともしばしのお別れだ。
名残を惜しみつつ三留野宿に入る。
すぐに左後方からの急坂を下ってさっきの与川道が合流して来る。
南木曽町ではこの道を中山道整備事業の対象にしたそうだ。
山村の風情あふれるいい道らしいが、残念ながら再びここまでやって来てらそちらを歩く機会は訪れないだろう。

三留野宿 三留野は山の斜面にへばりつくように佇む宿場だ。
坂を登ったかと思うと、眼下の甍の浪の中へ石段で降りてゆく。
民家と民家の間の路地をいくつも通りぬけたところで道を間違って少々時間をロスしながらも宿場のはずれ、南木曽駅から直線距離にして約400m手前で時計を見ると12:10PM。
今日は南木曽駅を2:52PM発の普通列車に乗る予定だったのだが、これなら1本くらい早い列車に乗れるかも知れないと思って時刻表を見ると、10分後の12:20PMに普通列車が出る。
これに乗りたい!って言うか、乗れなかったら南木曽で2時間30分も列車待ちだ。
三留野宿 慌てて駅方面に歩くのだが、駅の入口は中山道の反対側にあり、陸橋を渡って改札を強引に突破した時既に列車はホームに。
そのホームへはさらに陸橋を渡らねばならない。
後続の女房から
「もう、やめよう」
の声が。
駅員さんも
「子供いるんだし無理しない方がいいよ」
こうして僕らは南木曽駅に取り残された。

南木曽駅 無人の待合室でおにぎりを食べながら今日これからの予定を組み直した。
次の妻籠宿までは6km弱。
これからその妻籠まで歩き、バスで南木曽駅に戻って4:00PMのワイドビューしなのに乗る。
これで行こう。
早速帰りの切符を買い、バスの切符売り場で妻籠のバス乗り場の位置を教えてもらう。

上久保の一里塚手前の中山道 1:30PM、妻籠に向かって歩き始める。
旧中山道はいきなり急な坂を登って山の中に入り、風情たっぷりの小集落をいくつも抜けて上久保の一里塚へ。
左右共に残っているのは塩尻を出てすぐの平出一里塚以来ではないだろうか。

その先の旧道もアップダウンを繰り返し、やがて妻籠城跡への道が右に分岐する。
城跡までの距離は300m。
妻籠城址から妻籠宿を望む ちょっと迷ったが寄り道することにした。
山城らしく急な細い上りが続き、途中道の両側の地面を削り落とした堀切を過ぎると二の丸らしい平らなスペースがあり、さらに登ると一気に視界が開けて本丸跡に辿り着いた。
そこにあった説明板によると、ここでは小牧・長久手の戦いの際、豊臣方の木曽義昌の家臣、山村甚兵衛良勝が徳川軍を退けたそうだ。
関が原の戦いの時も軍勢が入ったそうだが、そんなことよりもここからの眺めは素晴らしい。
妻籠宿が一望できる。
バス乗り場も見当がついた。
寄り道して良かった。

妻籠宿 2:45PM、妻籠宿に入る。
奈良井よりも細く、くねった道の両側に昔ながらの日本家屋が建ち並んでいる。
道の細さは奈良井にはなかったミクロコスモス(小宇宙)的な魅力をかもし出している。
そして、土曜日ということもあり観光客であふれている。
これまで静かな宿場ばかりを旅してきた僕らの気分も何となく浮き立って来る。

鈴屋の窓越しに見る妻籠宿 散策は次回ということにして、「御休処 鈴屋」でコーヒーを飲む。
中山道の宿場でコーヒーを飲むのは下諏訪以来だ。
これで後先かまわずの3週連チャン、怒涛の“5月シリーズ”は終わった。
2年間の空白を埋めるかのように歩きに歩いた、娘を背負って。
次に来れるのは秋だろうか。
鈴屋の窓越しに人波絶えない妻籠宿の街並みを眼に焼き付けて、バス乗り場に向かった。

中山道<第29日>須原~野尻~(十二兼駅)2010年05月28日

田園風景の中を行く旧中山道
塩尻で乗り換えた各駅停車中津川行きが須原に着く。
このワンマン列車は先頭車両の一番前のドアからしか降りられないので娘の手を引いて車内を移動する。
すると1歳3ヶ月の娘は左右の客席の山歩き客と思しきおじいちゃん、おばあちゃんに手を振っては愛嬌を振りまいて人気者に。

須原宿の水舟 12:40PM、須原駅を出て静かな静かな須原宿を歩き始める。
至る所に丸太をくり抜いて水をためた“水舟”が置かれ、縦横にめぐらされた用水路も絶え間なく水音を立てている。
湧き水の豊富な宿場である。
旧い家屋も残っている。
そして振り返れば彼方に中央アルプス。

定勝寺木曽路きっての名刹定勝寺をちょこっと見物してから街道に戻り、すぐに右折する。
ここは下り坂で、道の真ん中を用水路が流れる昔ながらの景観が残っていると聞いていたのだが、生憎現在その水路の工事中で、風情を味わうという訳にはいかなかった。

岩出観音堂 宿場を出てしばらく歩き、やがて“木曽の清水寺”として名高い岩出観音堂を見る。
山の斜面に高い舞台を備えたその姿はなるほど本家を思い起こさせる。
しかしそのまん前の注文建築住宅は余りにもそぐわない。

さて、ここまでずっと基本的には木曽川沿いを通ってきた中山道はこの先約2kmに渡って山の裏側を迂回する。
これは木曽川沿いの道が余りにも危険なのでこちらに付け替えられたものと思われる。
アルプスのような風景 青空の下、青い苗が整然と並ぶ水田を右手に見ながら歩く。
やがて左手にはなだらかな丘陵が広がり民家が点在する。
「なんかアルプスみたい」
女房の言葉もまんざら冗談ではない。
心なごむ道だった。

国道から振り返って見た中央アルプス その後旧中山道は国道19号線に合流する。
大型車両行き交う中、時々思い出して後方を振り返るとまだ雪をわずかに残した中央アルプスを拝むことができる。
そして2:30PM、道の駅大桑に辿り着く。
ここで娘の昼食とオムツ替え。
街道歩きをしていて道の駅に行き当たるとホッとするものがある。
勿論車に乗ってる人向けの施設なのだが、それでも通りすがりに立ち寄るという点では変わらない。
そこで飲食やトイレなどが済ませられるのは本当に助かる。
街道時代の立場はこんな感じだったのかも知れない。

野尻宿 3:30PMに再出発してすぐに国道を右にそれ、30分程で野尻宿に入る。
宿場の入口付近ですれ違った自転車の女の子は「こんにちは」と声をかけてくれた。
ここに限らず木曽路では道で会った子供が本当に良く挨拶してくれる。
宿場町としての遺風がこんなところに現れているのだろうか。

野尻宿 野尻宿に旧い建物は余り残されてはいないのだが、道幅の狭さ、道のうねり具合、民家の佇まいに宿場風情をほのかに漂わせている。
本陣跡は確認できなかったが、もし明治天皇御小休所がそうなら現在は宗教団体の集会所だ。
こういう旧宿場町には珍しく、ちょっと寄ってみたいと思うような喫茶店もあったのだが、今日は5:20PM頃までに約3km先の十二兼駅まで行きたいのでそのまま通り過ぎた。

十二兼集落 野尻宿を出たあたりで男の子が声をかけて来た。
「どこまで行くの?」
「十二兼」
「遠い!」
それでも1時間足らずで立場があったという十二兼集落に達し、坂を下って国道と交差する。
地図で見るとこの国道と並行する線路も一気に横断して反対側に出るらしいのだが線路に踏み切りはなく、金網のフェンスで仕切られている。
やむを得ず線路のこちら側の国道を歩き、今日のゴール、十二兼駅に到着。
何とか予定通りの列車に乗って宿をとってある木曽福島へ。

中山道<第28日>上松~須原2010年05月22日

池の尻立場跡
旅館田政を出発8:40AM、旅館 田政を出発。
この旅館も奈良井で泊まったいかりや町田民宿と同じように間口に比べて奥行きが極端に長い構造だった。
廊下の壁には文久3年に諏訪明神主からもらった文書が貼ってある。

歩き始めてすぐの交差点を左折する坂道の壁面に“寝覚の床への道”と書いた案内板が見えた。
「有名な寝覚の床へはこの道が近道なんだ」
と軽く考えて左折せずに直進して10分ほど進んだところで間違いに気付く。
寝覚の床への道 この交差点は左折しなければならなかったらしい。
そこまで引き返してさっきの案内板を良く見ると上半分が雑草に覆われている。
その雑草の下に“旧中山道”の文字。
やられた。
このところ1日の歩き始めに道を間違うことが多い気がする。

尾張藩直轄上松材木役所跡付近気を取り直して坂を登る。
上松小学校の向かい側は尾張藩直轄上松材木役所跡。
尾張藩では木曽の山林を厳しく管理し、勝手に伐り出したりしようものならそれこそ本当に首が飛んだそうだ。
それでも、木材によって生活の糧を得る他ないこの地の実情に即して多少のお目こぼし的なものはあったらしい。
それが明治維新以後そのような配慮は一切なくなって、徳川時代よりも後退してしまったというようなことが『夜明け前』に書いてあったような気がする。

寝覚の床 坂は蛇行しながら一旦下った後また上って、右側に「たせや」と「越前屋」という2軒の茶屋が昔ながらの姿で並んでいる(現在は2軒とも宿泊施設として営業)。
この2軒の間の坂道を真っ直ぐ下って突き当たる臨川寺に200円の拝観料を払って境内に入る。
庭の「寝覚の床展望台」からはるか谷底の寝覚の床を見ることができる。
直角に侵食された花崗岩が連なる間をエメラルドグリーンの水が流れる奇勝である。
ここから現地まで降りることもできるのだが、時間と体力に余裕がないので休憩の後出発した。

駒ケ岳 旧中山道は左手に駒ケ岳を見ながらアップダウンを繰り返して国道19号線に合流する。
その直前で昨日に引き続いて民家の庭を通るところがあったのだが、これも遠慮して回り道した。
合流してすぐに小野の滝に着く。
ここはかつて細川幽斎(優れた戦国武将であり、極めて優れた教養人でもあった)も絶賛したほどの名瀑だったそうだが、現在では鉄道が真上を通ったため橋脚に挟まれ、何の迫力もない。

立町 次に国道を左にそれたところで道を間違え、線路脇の道なき道を辿って人気のない墓地に迷い込んだ。
途方に暮れているとちょうどそこにお墓参りに来た夫婦がいたので、ここが中山道ではないことを確かめて引き返した。
何とか正しいと思われる道を辿って一旦国道と合流し、すぐにまた左にそれる。
坂をくねくねと上って眼下の河川敷グラウンドの少年サッカー大会を見ながら坂を下る。
国道を横切ってかつて立場があったという立町を抜け、川沿いの道を通って国道に合流する。
その先の倉本駅で昼食にする。

倉本駅付近 寝覚めの床近くのコンビニで買ったおにぎりを頬張りながら携帯電話で明日の天気を調べると雨。
降水確率は90%。
本当は今晩須原でもう1泊するつもりだったが、幸い宿の予約はしていなかったので今日これから須原まで歩いて、東京に帰ることにした。
そうすると須原駅15時17分の列車には必ず乗りたい。
現在1:50PM。
倉本駅を後にした。

国道をそれた旧道 その先の旧道も国道と複雑に絡みながら須原方面に向かう。
途中、国道を左にそれて踏み切りのない所で線路を渡る箇所があった。
線路の手前まで言ってみたが、その先の道筋は草に覆われて判然としない。
娘を背負って進むには冒険が過ぎると判断してそのまま国道を歩いた。

次に国道を右にそれて坂を下ると池の尻立場跡に出る。
さっき通った立町もそうだったが、かつての休憩所である立場跡には独特の雰囲気があるようだ。

須原宿に入るこの後も旧道は国道を右に左にとそれるのだが、現在辿るのは困難なので素直に国道をひたすら歩く。
すると「須原宿」という看板が立っていて左にそれる道があるのだが、そこは通り過ぎて、その次の小さな路地に入る。
これが中山道である。
その路地がさっき国道を左にそれた道と合流した地点を今日のゴールとして須原駅に向かう。
すると中山道ではない筈のその道沿いに高札場跡や風情のある商店や、果ては一里塚跡まである。
胸の中に謎を抱え込んだまま予定の列車に乗り込んだ。