東海道<第28日>金谷~日坂~掛川2017年02月25日

一昨年12月以来の東海道歩き。

前回は金谷の坂を登り切ったところにある諏訪原城までだったので、今回はそこから掛川まで歩く予定。



女房の兄貴の運転する車を今夜宿泊する「スマイルホテル掛川」の駐車場に停め、掛川駅からJR東海道線で2つ目の金谷へ。

つまり今日のゴール地点からスタート地点まで電車で移動したわけだ。

ふた駅といっても駅と駅の間が随分と長く、これを今日これから歩くのかと思うと先が思いやられる。



金谷駅からはタクシーで諏訪原城へ。

旧東海道を歩き始める
8:14AM、丸1年振りに東海道を歩き始める。



復元の石畳
いきなり石畳の下り坂だ。

比較的整然とした石畳は近年の復元だろう。

案内板を見る
すると10分ほどで案内板が現れて、ここから先は江戸時代後期の石畳だと教えてくれた。

その石畳を歩いて見る。

確かに石畳はゴツゴツ感が増している。

歩き易くはない。

車道と接する旧道
石畳自体は風情があっていいのだが、並行する車道が常に見えるためタイムトリップ感は乏しい。



菊川が見えてきた
下り坂の先に集落が見えてきた。

石畳が終わって平地に下りると、早くもヒザが笑っている。

時刻は8:30AM。

歩き始めてまだたったの15分だ。



菊川
ここは江戸時代には金谷と日坂の間に位置する「間の宿」菊川

かつては行き交う旅人に食事や休憩などの便宜を図ったこの地で諏訪原城からの下り坂は底を打ち、上りに転じる。

急坂
それも相当に急な坂だ。

中山道の塩尻峠のようだ。

小2の娘は早くも音を上げ始める。

茶畑
左手には茶畑が広がる。



緩い上り坂
急な坂は終わっても緩い上りがダラダラと続く。

娘を何度も休ませながら少しずつ進む。

9:20AM、やっと坂を登りきったらしい所に到達した。

ここが小夜の中山峠だ。



接待茶屋跡
街道の左側の空きスペースは鎌倉時代からあったという接待茶屋跡

夜泣き石
その向かいの久延寺には夜鳴き石なる巨石が鎮座している。

その昔お石という妊婦が賊に殺され、その魂魄がこの石に乗り移って夜な夜な泣き声を上げたとか。

この説明の出典は滝沢馬琴『石言遺響』。



茶亭跡
またこの久延寺では慶長5年(1600)、会津の上杉討伐に向かう徳川家康を掛川城主だった山内一豊が茶をたててもてなしている。



9:34AMに久延寺を出る。

小夜の中山の茶店
茶店が何軒か並んでいるが、時間が早過ぎるのか開いていない。



遠州灘が見える
茶畑の間を通る下り坂の彼方には遠州灘の水平線が見える。

中山道にはない、東海道ならではの景観だ。



小夜鹿の一里塚
9:38AM、小夜鹿の一里塚を過ぎる。

するとこの辺りから小夜の中山を詠んだ歌碑がいくつも現れる。

ここは随分と有名な歌枕だったらしい。

不勉強でひとつも知っている歌はなかった。



緩やかな坂を下る
雲ひとつ無い空の下、歌枕としても高名な景勝地を気分良く歩く。

ただ絶え間なく吹き付ける風が冷たい。



涼みの松
10:07AM、芭蕉の句碑や、芭蕉が休んだ涼みの松(2代目)などが集められた街道右手の小公園で小休止。

妊婦の墓
向かいの茶畑の中に妊婦の墓がポツンと建っている。

説明を読むと、「松の根元で自害した妊婦小石姫(三位良政と月小夜姫との間に生まれた子)を葬った所」とある。

さっきの久延寺の説明版より妙にリアルになっている。

馬琴はこの墓を見て『石言遺響』の着想を得たのではないだろうか。



夜泣石跡
再び歩き始めて10分ほどすると街道左手に夜泣石跡が現れる。

夜泣き石は元々この道の真ん中にあったらしい。

ということはここが犯行現場ということか。

そういえば確かに日当たりのいいこの辺りの街道筋でここだけが両側に木々が鬱蒼としていて薄暗い。



民家が見え始めた
さらに街道がうねうねダラダラと下って民家などがポツポツ見えるようになったかと思うのも束の間、
急激な下り坂
途中からとんでもない急勾配の下り坂となる。

アスファルト舗装をしてあるということは車も通るのだろうか?

坂の上の方の民家では軽自動車が停まっているのをいくつも見たが、軽でこの坂を登れるとはとても思えない。



この急坂が緩やかになって自動車道をくぐると日坂宿に入る。

静かなたたずまいの民家の軒先に屋号を書いた表札が架かっている。

本陣跡
すぐにだだっ広い公園の前に出るが、ここが本陣跡。



日坂宿
宿場内には旧い建物が点在する。

伊藤文七邸
11:20AM、その中の1軒、伊藤文七邸脇のベンチで昼食にする。

各自牧之原サービスエリアで買ったおにぎりやサンドイッチをパクついた。



川坂屋内部
昼食後、旅籠「川坂屋」を見学。

ここは格の高い旅籠だったらしく、上段の間もある。



高札場
川坂屋を出て緩い坂を下って達する橋の手前に高札場下木戸跡があって、日坂宿は終わる。

12:02PM。

地味ながら雰囲気のある宿場だった。



20分ほどで国道1号線に合流する。

事任八幡宮
その地点に坂上田村麻呂が興したという事任(ことのまま八幡宮の前を通り過ぎるとあとは退屈な国道が延々と続く。

娘も疲れてペースは一向に上がらない。



伊達方一里塚
14:23PM、馬喰橋を渡ったところに伊達方一里塚があった。

ひとつ手前の小夜鹿の一里塚を通過したのが9:38AMだったので、4km進むのに休憩込みとはいえ4時間近くもかかっている。



間もなく掛川の城下に入る。

しかしそのためには新町七曲りなるものを通過しなければならない。

これは掛川城下を整備した山内一豊が、外敵の城下への侵入を難しくするために設けたジグザグの道筋のことである。

それではB級戦国武将、一豊と勝負だ。



結論から言うと僕らは一豊に惨敗を喫した。

最初に曲がるところこそわかったものの、その次に折れる地点を見落として引き返し、さらに1箇所見落としたせいで七曲りのゴール地点がわからずまた引き返すという失態を演じてしまった。

その上で正しい道筋を紹介すると、

まず左に折れる
まずはこの歩道がだだっ広いT字路を左に折れ、

右の路地に入る
民家の塀が途切れたところの路地を入り、

常夜灯の角を左
突き当たりに常夜灯のある角を左に折れ、

工場に突き当たって右
工場の敷地に突き当たって右折、

魚林の突き当たりを右
左手に「魚林」という看板が見えるとすぐに突き当たるので右へ。

ジグザグは道なり
その先のジグザグは道なりに進み、

塩沢機械店を左
「塩沢機械店」の角を左折。

シミズ写真館を右
「シミズ写真館」横の駐車場を右折、

和菓子屋の前を左
「桂花園」という和菓子屋の前の通りを左に曲がって元の道筋に戻る。

角を曲がる度に一豊の小心さを体感できる。

その一豊にここまでキリキリ舞いさせられるとは。



掛川宿
さてやっと入った掛川のお城下はちょっと寂しいシャッター通りだった。

宿場としての形跡も見当たらない。

掛川城大手門
3:27PM、右手に掛川城の大手門が見えたあたりの交差点で今日の行程を終了してホテルに向かった。

明日は掛川城を始めとする観光にあてる予定。

東海道<第27日>島田~金谷2015年12月30日

10:00AM、大井川公園バス停に降り立ち、今日の東海道ウォークを始める。




小心な徳川幕府のせいで誰もが難渋を強いられた大井川を大井川橋で渡る。

大井川
現代の大井川はそれほど深くないように見える。

大井川の川原
ただ川原には大水で上流から根こそぎ流されて来たと思しき流木がそこかしこに倒れたまま半ば埋まっていた。




対岸の茶畑
対岸の丘の斜面はびっしりと茶畑で埋まっている。

今日これから上る金谷坂はあの丘の中にあるらしい。




旧東海道
橋を渡りきって堤の上を南に向かい、旧東海道が始まるところで堤を下りる。

すぐに「金谷宿川越し場跡」という案内板の建つ小公園に達する。

かつてはこの辺りまで川原だったらしく、このちょっと先に川越人足の詰め所などが建ち並ぶ河原町が形成されて金谷宿の一部となっていた。

河原町
現在ではひっそりとした住宅街になっている。




そこから少し歩くと元々の金谷宿に入る。

河原町ができてからはこちらを「金谷本宿」と呼ぶようになったらしい。

金谷宿
なだらかな坂道に商店が建ち並んでいて、宿場の色々な施設の跡地にはまめに案内板を建てて丁寧に説明している。




佐塚屋本陣跡
そのうちの一軒、「佐塚屋本陣」は現在「佐塚書店」になっていた。

中山道と東海道を歩いて色んな本陣跡を見て来た。

一番多いのは駐車場、続いて医者・金融機関というところだったように思うが、本屋というのは多分初めてだ。




金谷坂
その先旧道は東海道本線で分断されているので、ガードをくぐって再び旧道にアクセスすると一気に道幅は狭く、勾配も急になる。

金谷坂の石畳
交差する車道を横断するとすぐに金谷坂の石畳が現れる。




昼なお薄暗い
鬱蒼と生い茂る樹木で昼なお薄暗い山道を進む。

この石畳の石は球状に丸みをおびていて大そう歩きにくい。

足元から目が離せない。




その名前から、受験生に人気の「すべらず地蔵」を右に見て通り過ぎるとやがて樹木が途切れて空が広がり、茶畑の広がる平原に出る。

茶畑
12月の陽光の下、茶畑を左に見ながらアスファルトの旧道を歩く。




右側の「諏訪原城」を通り過ぎた所にある「こもれび」という山小屋風の喫茶店で昼食を取ることにする。

喫茶こもれび
思いのほか雰囲気のいい店でまったりとした時間を過ごした。




その後諏訪原城を見学したところで(2:30PM)、諏訪原城跡バス停で次バスの時間を見るとあと2時間近くもある。

僕と女房の二人だけなら迷わずこの先の小夜の中山峠を越えた先にある次のバス停まで4kmほど歩くところだが、娘と女房の兄貴はかなり疲れてしまっているようだったので、今日の東海道ウォークはここまでということにして、金谷駅まで歩いて戻った。

東海道<第26日>藤枝~島田2015年12月29日

女房の兄貴の運転で新東名高速道路を徹夜で走り、これから2泊する藤枝パークインホテルの駐車場に車を停める。

そこから歩いて10分ほどで旧東海道と国道1号線と藤枝駅に向かう通りが交差するややこしい交差点に達する。

今回のスタート地点
ここが今回のスタート地点だ。



10:22AM、今日の東海道歩きを始める。

しばらくは国道1号線の南側を平行して進む。

松並木
所々に松並木の名残が残っている。

旧東海道らしい景観だ。



一旦国道1号線と合流した旧東海道はすぐに東海道本線六合駅を迂回するように北に分岐してまたすぐに合流する。

その合流地点近くの「五味八珍」という浜松餃子で有名な中華レストランチェーンで昼食を取る。

その餃子、外がカリッとしていて中はモチっとしている皮の食感はとてもいいのだが、具自体に味が付いていないのが僕には物足りなかった。



監物川
歩きを再開してすぐ、歩道橋をくぐる時にほんの小さな水路を渡ったが、その水路に「監物川」という名前が付いていた。

歴史的な謂れのありそうな名前なので当たりを見回すと道の反対側に説明板が建っている。

それによると、これは田中城主であった水野監物忠善が大井川の水を引き込む為に造った水路だそうだ。

これに感謝したこの地の農民がこの水路を監物川と呼ぶようになったらしい。



島田宿一里塚跡
監物川から5分ほどで旧東海道は国道1号線から左に分かれ、さらに15分ほど歩くと道路右に島田宿一里塚跡の標柱があって島田宿に入ったことが知れる。

島田宿
無残なまでのシャッター通りだ。

本陣跡
と思いながら歩いていると、本陣跡を取り囲む一角だけが再開発されたかのように洒落た町並みになっていた。



大井川川越遺跡
本陣跡から40分弱で島田宿大井川川越遺跡という一角に達する。

つまりここは旧東海道が大井川に突き当たる地点だ。

社会の発展よりも自家体制の安泰を優先する徳川幕府は西国から江戸に攻め上られるのを警戒して大井川に橋を架けなかった。

そこでここにはこの川を渡るための料金所や川越人足の詰め所などの施設が建ち並ぶことになる。

現在ここには往時の建物が現存していたり復元されたりしている。

大井川川越遺跡
これらが店を開いていて観光客が行き交っていれば往時の賑わった雰囲気が味わえたのかも知れないが、あいにくどこも既に年末年始の休業に入ってしまっていて戸は固く閉ざされている。

従って観光客の姿もなく、12月の西日に伸びる自分たちの影ばかりが目立つうらぶれた通りになってしまっていた。



大井川の河川敷
江戸時代初期に造られた島田大堤という土手を超え、現代のコンクリート堤防の上に立つと広大な河川敷が広がっている。

特に船着場などの遺構を示す物もここからは見当たらないのでこのまま堤の上を北に向かい、大井川公園前というバス停を本日のゴール地点として藤枝のホテルに向かった。

東海道<第25日>岡部~藤枝2015年03月08日

9:25AM、心なごむもてなしを受けたきくや旅館をチェックアウトする。
きくや旅館
車は引き続き置かせてもらって僕らはきのうのゴール地点へ。

そこは良く見ると大きな枡形になっている。

すぐ目の前の観光案内所に今日も立ち寄る。



実は昨夜旅館に着いてから、案内所でもらった地図を広げて見たところこちらの方が「東海道さんさくマップ」よりもわかり易い。

きのうさんざん迷った所もこれを見れば一目瞭然だ。

そこで今日はこの地図で歩くことにした。

さらにこれから先の分の地図もあればもらおうと思って寄ったわけだ。

案内所にいた昨日とは違うおじさんによると、この地図は静岡県が作った冊子をコピーした物だということだ。

以前は無料で配布していたのだが、今は予算もなくなって絶版となってしまったらしい。

ただし下記のURLでダウンロードできることを教えてくれた。

http://www.shizuoka-tokaido.com/index.html



岡部の町並み
9:40AM、電線が地下に埋設されてすっきりした景観の岡部の街を歩き始める。

ここでは県道208号線が旧東海道だ。

道路右側に松並木が残っている。
岡部の松並木
それなりに有名な岡部の松並木だ。



松並木が途切れるあたりで旧東海道は県道を右にそれる。

このあたりは江戸時代に美濃岩村藩の飛び地であった。
岩村領傍示杭
それを示す岩村領傍示杭が西と東に復元されている。




それなりに雰囲気のある道だ。



旧道は県道208号線とクロスして進み、鬼島の一里塚跡に達するのだが、
鬼島一里塚跡
この一里塚も1本の棒になってしまっていて一行誰も気付かず通り過ぎかけたのを、最後尾の僕が気付いてみんなを呼び戻した。



樹齢500年を超えるクスが天然記念物になっている須賀神社を過ぎたあたりで地図通りの道を進んでいると右側の更地に一筋の松並木が残っている。
松並木
あっちの方が明らかに東海道っぽい。

そこで「東海道さんさくマップ」を見ると、この松並木の方を歩くようになっている。

こちらのさんさくマップもまだまだ手放すわけにはいかないようだ。



11:20AM、旧道が国道1号線と交差するところにくら寿司があったので昼食にした。



12:15PMに歩きを再開して15分ほどで藤枝宿に入る。
藤枝宿
正直ちょっと寂しい感じのアーケード街だ。



また地図には問屋場跡などの史跡が載っているのだが、歩いていてもそういった案内が見当たらない。

今地図のどのあたりを歩いているのかも判然としないままにアーケードを出てしまった。

おかしいなぁと思いながら何気なく下を向くと
下本陣跡
足元の歩道に「下本陣跡↑」というレリーフが埋め込まれていた。

吉原でもそうだったが、このやり方は非常に気付きにくい。

また下本陣とは何かというような説明も一切ない。

ちょっと残念な宿場だった。



勝草橋を渡ったところに江戸から50番目の志田一里塚蹟がある。
志田一里塚蹟
やっと200kmだ。



1:35PM、東海道沿いには珍しいやたらおしゃれな喫茶店があったので休憩にした。
カフェ・ファン・デル・フォルスト
カフェ・ファン・デル・フォルストというオランダのサッカー選手のような名前の店だ。

女房によると店内のあちこちでコメダ珈琲店と比較する声が聞こえたとのこと。

既に名古屋の喫茶文化圏に入っていることを実感。



再び歩き始めて5分ほど、旧東海道が藤枝駅に最も近付く青木バス停で今日の歩き旅を終了。

バスで岡部のきくや旅館まで戻り、車で東京に帰った。

東海道<第24日>(二軒家バス停)~岡部2015年03月07日

今回も女房の兄貴に車を出してもらっての遠征。

前回とは打って変わって雨の東名高速と新東名高速を西へ。

沼津あたりでは本降りだった雨は藤枝岡部インターチェンジを降りる頃には止んでくれた。



岡部宿近くのきくや旅館の駐車場に車を置かせてもらう。

ここが今日の宿であり街道ウォーキングのゴールでもある。



最寄の藤枝市役所岡部支所前バス停に行くとあいにくバスは今出たばかり。

仕方なく時間つぶしにすぐ近くの観光案内所をのぞくと親切なおじさんがこれから歩く所の色々な資料を渡してくれた。



バスに乗って前回のゴール地点、二軒家バス停に着いたのが11:00AM。

早速東海道ウォークを始める。



二軒家付近



旧東海道は国道1号線とつかず離れず絡みながら西に進み、1時間ほどで宇津ノ谷トンネルの手前で右にそれる。

舗装道路のカーブに沿ってそれなりに雰囲気のある日本家屋が2~3軒並んでいる。
宇津ノ谷トンネル付近
期待がふくらむ。



程なく道幅3mほどのわき道に入る。

いよいよ(あい)の宿・宇津ノ谷だ。
間の宿・宇津ノ谷
宇津の谷峠に向かう坂道の両側に木造の日本家屋が建ち並ぶ。

どの家も軒下に屋号をぶら提げている。



そのうちの一軒、「御羽織屋」に凄い物があるというので屋敷の裏へ回ってそこに吊るしてある呼び鈴を鳴らして案内を乞うと中からお婆さんが出て来て座敷に招き入れてくれた。
御羽織屋
靴を脱いで拝観料をお盆に納めると、そこには何と豊臣秀吉の小田原攻めの際に秀吉本人から拝領したという陣羽織があった。

ピンクがかった、派手好みの秀吉らしい色合いの羽織の由来を説明してくれるお婆さんは低く見積もっても80代、恐らくは90代とお見受けした。

うっかりするとこのお婆さんが秀吉から直接拝領したような錯覚に陥りそうだが、説明する口調には全くよどみがない。

この羽織を見に家康もここを訪れて、その時に置いて行った茶碗もあった。

この建物自体、柱と梁はその当時のままだということだ。

秀吉や家康が触れたかも知れない黒光りする柱を触らせてもらって御羽織屋を後にした。

いい物を見させていただいた。

娘の分の拝観料をチャラにしてくれたお婆さんの親切も心にしみる。



緩やかな坂道はさらに石段となって急坂を上り、つづら折の舗装道路に突き当たる。
石段
少し歩くと左側に「旧東海道のぼり口」という案内板があって未舗装の坂道が延びている。
峠に向かう道
いよいよ峠越えの始まりだ。



5分ほどで宇津ノ谷の集落を見下ろせる場所があったので、ここで沼津駿河サービスエリアで買った弁当を広げた。
宇津ノ谷集落



右側の崖下には明治時代のトンネルを抜ける抜けるハイキングコースがあるらしい。

ここから見ていると次から次へとハイカーが歩いて来る。

それにひきかえ旧東海道には誰も来ない。

なぜだろう?



1:20PM、昼食を終えて歩き始める。

10分ほど歩いたところで斜面を石垣で固めた一画が忽然と現れる。
地蔵堂跡
これは江戸時代に地蔵堂があった跡だ。



そこからさらに5分ほどで両側の斜面が迫って道がV字形になっている所に出る。

ここが峠だ。
宇津ノ谷峠
思ったよりあっさり着いた。

あとは下り坂。



その下り坂がさっきまでの上りよりも急勾配で、しかも若干長い印象だ。
下り坂
京都側から歩くと意外ときつい峠なのかも知れない。



峠から15分ほどで舗装道路に合流する。

この先は国道1号線の敷設で地形が大きく変わっていてどれが旧東海道なのか判然としない。

「東海道さんさくマップ」を見ても大雑把で要領を得ない。

とにかく2:05PMに国道1号線沿いの道の駅宇津ノ谷峠に着いたので休憩をとる。
道の駅宇津ノ谷峠
その後旧道の道筋を確かめようと引き返したものの、結局よくわからずに再び道の駅に戻るまで30分ほどロスする。

道の駅から先は比較的分かりやすい旧道が続いて県道208号線に合流する。

すぐに枡形跡の説明版が建っている。
枡形の跡付近
枡形とは敵の侵入を妨げるために宿場の出入り口に設けられた道を鉤方に屈曲させた場所のことだが、今この県道は真っ直ぐにしか見えない。

ここから岡部の宿場が始まるはずなのだが、それらしい雰囲気も無い。



やがて旧道は県道を右にそれる。

そのポイントに西行法師ゆかりの「笠懸松と西住墓」という説明版があって、さして古くもない松が植わっている。
笠懸の松付近
不勉強で、それを読んでも何のことかよくわからなかった。



その旧道が再び県道に合流した所に大旅籠かしばがある。
大旅籠柏屋
ここは今に残る旅籠の建物を資料館として公開している。

中に入ると上がり框で足を洗う二人の旅人(野次喜多?)のろう人形などがあって往時の雰囲気を再現している。



隣は本陣跡で、こちらは建物はなく立派な門が残っている(再建か?)。

その門をくぐると本陣の広大なスペースが広場になっていて、間取りが地面に描かれている。

門の内側は一段高くなっていてステージのようになっている。
本陣跡
ここでライブをやったら楽しいかも知れない。

「向島純情楽団ライブ・アット岡部宿本陣」

いいぞ。



旧東海道はまたすぐに県道をそれて進み、5分ほどで50cmほどの小さな橋に至る。
姿見の橋
これは晩年の小野小町が水面に映った自らの老残の姿を嘆いたという伝説が残る姿見の橋。



その先宿場の半ばあたりで再び枡形らしき道の屈曲を経て、一軒の堂々たる門構えの旧家の前に出る。
中山儀助邸
元サッカー日本代表・中山雅史さんの実家だ。

数年前に日本旧来の工法でリフォームしたというお宅の表札には一時期テレビに出まくっていた「中山儀助」の文字。

ここであの素晴らしいパーソナリティが育ったわけだ。



そこから5分ほどで旧東海道が今夜の宿・きくやに最も接近する地点に達するので、ここを本日のゴールとして宿にチェックインした。